探訪記
全国を駆け回り、見つけ出した「未知なるギフト・ロマンスイーツ」。その作り手たちを徹底取材。お店の歴史や創業から伝わる秘伝の製法、商品にまつわるとっておきの裏話や想いなど、ロマンあふれるスイーツの魅力をたっぷりお届けします。
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第10回 ミニロール 御菓子司 長野屋
【新潟県 糸魚川市】取材NGの極秘製法でつくる、クリームの飛び出さない不思議なケーキ
新潟県糸魚川市の西の端。富山県との県境の町・青海。 目の前にはその名の通り美しい青い日本海が広がり、振り向けば、新潟百名山の青海黒姫山が雄大にそびえる。 その海と山にはさまれた青海駅から歩いて2分。 以前はにぎやかな商店街だったという静かな県道に、来年創業100年を迎える老舗菓子屋がある。 『御菓子司 長野屋』 地元の銘菓から普段使いの和菓子、洋菓子、ケーキにアイスと幅広いラインナップの中で、冬の人気No.1商品は、ちいさなロールケーキの「ミニロール」。 味はバニラ、小倉、チョコ、チーズ、抹茶の5種。10月から4月末までの限定商品だ。 ロールケーキといえば、大きな口でもぐっと食べる満足感がうれしい反面、たっぷりのクリームがむにゅっと飛び出してしまうのが難点。 ただ『長野屋』の「ミニロール」は、ちょっと違う。 指2本でも持てるちょうどいいサイズはカットする手間もなく、口の小さな子供でも食べやすい大きさ。 そして何より勢いよく食べても、たっぷり入ったクリームが飛び出さないのだ。 見た目はいたって普通のロールケーキ。なのに、どうして『長野屋』の「ミニロール」はクリームが飛び出さないのだろう。 その秘密は、取材NG、撮影NGの超極秘製法にあるという。 そんな門外不出の「ミニロール」が生まれたのは、いまからなんと50年以上も前なのだ。 -
第9回 ガトー・オ・ノア マロン洋菓子店
【新潟県 新潟市北区】「普遍的なおいしさ」を探しつづける職人の最後のケーキ
新潟駅からローカル線に揺られること15分。昼過ぎに降り立った早通駅には、雪が降り積もっていた。 駅前から人影のないの商店街の奥に、鮮やかな青い屋根が見えた。 『マロン洋菓子店』 東京を中心に関東にはマロンを名乗る洋菓子店がいくつかある。 この新潟市北区にある『マロン洋菓子店』もまた、東京の「マロン」で修行し、名乗ることを許された由緒ある洋菓子店の1つなのだ。 -
第8回 カルソー 御菓子司 えんどう
【福島県 白河市】今なら不可能? 名前もレシピも謎だらけの魅惑のケーキ
新幹線の停車駅で唯一村にある新白河駅。その東口から車で5分ほど。国道のぶつかり合う交差点に来年創業100年を迎える菓子屋がある。 『御菓子司 えんどう』 お店のサイトをのぞくと、人間は甘さの感覚を自然から学んだと唱え、お菓子の原点を追い求めて合成甘味料を一切使用しないと掲げる。 さらに、自然の恵みの宝庫である地元福島の素材はもちろん、自然の旨みを引き立て、季節感を大切にした菓子づくりにこだわるとうたう。 看板商品は、ふんわり生地に塩味のきいたバタークリームと角切りチーズがたっぷり入ったチーズブッセ「白河の月」。 他にも、大粒で極軟の栗をひとつずつ丸ごと入れた福を呼ぶ開運銘菓「白河だるま」。 素朴な風味の芋飴とさわやかなりんごの果肉をもちもちとした食感の生地でつつんだ新食感の焼き菓子「ぽてっぷる」。 などなど、オリジナリティあふれる商品群は、和菓子、洋菓子、ケーキと幅広い。 そんな中、サイトのどこにも載っていないのに、いきなり「1500個!」と大量注文を受けることもある謎の洋菓子がある。 かの総合生活雑誌『暮らしの手帖』では、「ホワイトチョコレートの魔性のケーキ」と紹介されたという。 欧風銘菓「カルソー」 レトロな金色の包装も、レシピも、名前もずっとおなじ。でも、その由来は謎、謎、謎。 60年以上前といわれる、その誕生もまた謎につつまれているという。 -
第7回 イトウ焼 銘菓の店 山ざき
【青森県 西津軽郡鰺ヶ沢町】幻の魚の洋菓子? 元エンジニアが受け継ぐ名産菓子の物語。
青森市内から西へ車で1時間ほど。北は日本海を臨み、南は世界自然遺産「白神山地」を有する鰺ヶ沢町。 「ブサかわ犬」として映画にもなった秋田犬「わさお」で一躍有名になった町には、もう一つ全国区の名物がある。 本州では絶滅し、幻の魚ともいわれる日本最大の淡水魚「イトウ」の全国でも数少ない養殖地なのだ。 青森県の鰺ヶ沢町では白神山地を水源とした赤石川の清流を利用し、1985年から養殖をはじめている。その味はサケより淡白でクセがなく、川のトロといわれるほどの美味。希少な高級魚ゆえ日本で食べられるのはおそらく鰺ヶ沢だけだ。 そんな鰺ヶ沢に「イトウ」を名乗る菓子がある。 『銘菓の店 山ざき』の「イトウ焼」だ。 パッケージには水面から勢いよく飛び上がるイトウ。まさか魚介系のお菓子?とたじろぎそうになるが、イトウが入っているわけではない。 中身は、ホワイトチョコレートを5ミリほどのアーモンドサブレではさんだフロランタン風の洋菓子。ほんのりと風味があり、甘すぎず、ほどよい歯応えで、思わず2枚目に手が伸びてしまうクセになる味わい。 なぜ「イトウ焼」というネーミングなのだろう。 『銘菓の店・山ざき』の3代目店主・山崎康裕さんはいう。 「鰺ヶ沢でしか作れないお菓子を作っていきたいんです」 -
第6回 マドモアゼル 洋菓子の店 不二屋
【滋賀県 蒲生郡日野町】絶品のスポンジで目指す、日野のソウルフード。
滋賀県東部。中野城の城下町として整えられた日野町は、「三方よし」で有名な近江商人を多数輩出した町としても知られる。 近江鉄道の日野駅から約3キロ。日野町役場から日野商人街道へ向かって5分ほど歩くと、突如、アルプスの麓から切り抜いたような三角屋根に可愛い煙突が突き出た建物があらわれる。 『洋菓子の店 不二屋』 のどかな日野の町で一際目立つ店舗は、スイスやドイツの民家をモデルにしている。その完成度は、ドイツから来た楽団員が「故郷の家にそっくりだ」というほど。 店舗同様、作っている洋菓子もスイスやドイツの影響を受ける。 その1つが、ドイツ生まれの焼き菓子バウムクーヘンから着想を得て生まれた「マドモアゼル」。 -
第5回 クーベルチ フランス菓子 リヨン
【岐阜県 高山市】飛騨高山でよみがえる、50年前のお菓子の記憶。
美しき日本の原風景、合掌造り集落の世界遺産・白川郷。その玄関口となる岐阜県の飛騨高山もまた、江戸時代の古い街並みを残す観光名所として世界中から旅人がやってくる。 JR高山駅から1キロほど。ホテルの建ち並ぶ県道を抜け、苔川(すのりがわ)に向かって歩くと切り絵のようなシルエットの女の子の看板が見えてくる。 -
第4回 マロングラッセ モカドール洋菓子店
【東京都 江東区】東京の下町で孤高の職人が目指す、誰も見たことのない菓子屋。
東京三大銀座の1つ「砂町銀座商店街」。東京の下町・江東区北砂を貫く全長670メートルの長い商店街には、約180の店舗がひしめき合っている。 毎月10日に開催される「ばか値市」となれば、活気あふれる掛け声が響き、満員電車のごとくお客さんで大混雑する。 そんな下町の商店街のちょうど真ん中あたり。チョコレート色の外壁、ピカピカに磨かれたショーウィンドーや鏡、そこに達筆な立て看板という少し不思議な佇まいのお店がある。 -
第3回 藤樹せんべい 大阪屋
【滋賀県 高島市】琵琶湖で100余年。消えかかる秘伝の手作りせんべい。
日本最大の湖・琵琶湖。その面積は滋賀県の約6分の1だが、県の中央に横たわっているためか、存在感はもっと大きく感じる。 その琵琶湖の湖岸。滋賀県北西部の近江今津駅から歩いて10分ほどの神社の前に、小さなせんべい屋がある。 -
第2回 スバル最中 伊勢屋
【群馬県 太田市】こだわりのあんこが詰まった伝説の名車菓子。
群馬県の太田駅北口から5分ほど。とある工場の門柱にはこう表記されている。 「スバル町1−1」 ここは自動車メーカー・スバルの本工場。「スバル発祥の地」といわれ、スバル町は2001年に成立した正式な地名だ。 スバルは日本最大規模の航空機メーカーだった中島飛行機をルーツに持ち、戦闘機(零戦)を作っていたことでも知られる。その特異な生い立ちもあり、職人魂あふれる独特な自動車メーカーとしてのブランドを確立している。 そんなスバルの熱狂的なファンは、いつしか「スバリスト」といわれるようになった。 他の自動車メーカーにはファンを一括りにするような呼び方がないことからも、スバルの個性とスバリストたちの愛情の深さがわかる。 スバリストたちは「スバル詣(もうで)」と称して、この本工場の前で愛車と写真を撮るという。 そして、もう1ヶ所。スバリストたちがこぞって立ち寄る場所がある。 本工場の正門の前に建つ、小さな和菓子屋『伊勢屋』 『伊勢屋』で人気車種のレガシィB4をかたどった「スバル最中」をいただく。それがスバリストたちにとって欠くことのできない「スバル詣」の作法となっているのだ。 「スバル最中」と聞いて、スバリストの情熱に便乗した企画モノだと思ったら大間違い。 その歴史は古い。「スバル最中」の発売はなんと今から60年以上前の1961年3月なのだ。 さらに『伊勢屋』の歴史は、もっと古い。 スバルの前身である中島飛行機がこの地に工場を構えた同じ年に、『伊勢屋』もまたこの地に誕生した。 3代にわたる和菓子職人の歩みは、今年90年目を迎える。 -
第1回 フロリダ/ヌス・シュニンテン ガトーかんの
【宮城県 仙台市】仙台の地で57年。創業から伝わる強めの甘さがクセになる。
仙台駅から電車で6分。北仙台駅の南側にある100メートルほどの小さな横丁。 戦後の1958年に日用品の市場を開いたのがはじまりと言われ、当時は八百屋や魚屋が並ぶ商店街だった。その後、東京の浅草にあやかりたいと「仙台浅草」と名づけられた。 最盛期は人がすれ違うのも大変なほどの賑わいだったという。 しかし、時は流れ、日本中から横丁や商店街が姿を消していくように「仙台浅草」もまた、さまざまなお店ができては消え、現在は居酒屋やスナックが立ち並ぶ飲食店街になっている。 平日の昼間は人影もまばらで、ひっそりとしていた。 そんな変わり続ける横丁の景色の中で、ずっと変わらずにあるお店が一軒だけ。 洋菓子専門店『ガトーかんの』 創業1967年。当時は路面電車から見えたという「仙台浅草」の南の玄関口に建つ『ガトーかんの』は、今年で57年目を迎える。 看板商品は、外側をチョコでコーティングしたアーモンドのフロランタンクッキー「フロリダ」とヘーゼルナッツとヌガーをサンドした「ヌス・シュニテン」。