北海道 留萌市
恋の喜びに包まれた白あんは、食べる人を笑顔にする。 (1/2)
るもいの乙女 千成家
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉
旭川から車で約1時間半。北海道北西部、日本海に面した小さな港町・留萌(るもい)。その形がハートに似ていることから、「ハートのまち」と呼ばれることもある。
そんな町の中心に、ひときわ笑顔があふれるお店がある。和洋菓子の老舗『千成家』だ。お店のモットーは「楽しさの輪を広げる」。
店内は明るく開放的。ショーケースには、日本一美しい夕陽が見られる「こがね岬」、道北最大級の海水浴場に打ち寄せる「さざ波」、陸の孤島と呼ばれる「雄冬岬」などなど、地元の名所や自然をモチーフにした菓子がずらりと並ぶ。
どれもこの町とともに生まれ、この町の人に愛されてきた『千成家』だけの物語を持つ菓子たちだ。
『千成家』の店内。以前は喫茶店も兼ねていたため、かなり広い。現在も奥には喫茶スペースがある。
なかでも、とりわけ華やかなひと品がある。
手のひらに収まるパッケージには、留萌の花・ツツジが咲き誇り、髪の長い女性が伏し目がちに微笑んでいる。
「るもいの乙女」
バター生地の中に生クリームを練りこんだ白あんを入れ、いまどき珍しいホイル焼にした留萌の銘菓。
ホイルを開けると、甘いバターの香りが鼻腔をくすぐる。さっそくひと口いただく。
ちょうどいい焼き具合の生地はふんわりとしているのに、ほどよい固さもあって食べやすい。徐々に白あんの甘さがしみてくる。強すぎず、多すぎず、生地とのバランスもちょうどいい。
ホッとするような味わいは、はじめてなのに、どこか懐かしい気持ちにある。
ただ、このお菓子。他の『千成家』の特選銘菓と異なり、少しばかり謎が多い。
「るもいの乙女」のパッケージ。描かれている留萌市の花のツツジは、留萌地方の気候風土に最適であり、かつ広く市民に親しまれていることから選ばれた。ちなみに留萌市の木はアカシア。
乙女の秘密
『千成家』の創業は1955年(昭和30年)。初代・宮澤こうじさんが洋菓子店としてはじめた。だが、創業からわずか3年で病に倒れ、志半ばで亡くなってしまう。
当時の留萌は、盛んだったニシン漁の衰退や炭鉱の閉山が相次ぎ、増え続けていた人口がピークを迎え、減少に転じはじめる頃だった。
残された小さな店を縁あって引き継いだ長内友二さんが和菓子もはじめる。これが現在の和洋菓子を手がける『千成家』の原点となる。
友二さんは、留萌という土地を意識した商品開発もはじめた。
留萌は、世界3大波濤(はとう)に数えられ、最大10メートルを超える荒波で知られる。この荒波から留萌を守っているのが、波消しブロックだ。たとえば、その姿を模した可愛らしい四脚の和菓子「テトラポット」を作った。いまや『千成家』を代表する銘菓の1つになっている。
そうやって先代の洋菓子に加え、カステラや羊かんなどの定番菓子、「テトラポット」や前述の「雄冬岬」「さざ波」「こがね岬」といった留萌にちなんだ菓子をひとつずつ丁寧に増やしていった。
甘いものに囲まれて育った『千成家』の5代目・長内敬憲さん。「友だちもよく家に遊びに来たがっていました。お目当ては僕じゃなく、お菓子でしたけどね」と笑う。
そして、小さかった『千成家』を3階建ての大きな菓子屋へと成長させた。
「あの頃は留萌にも十軒以上のお菓子屋がありました。そんな中でも『千成家』は、古株の方だったと思います」
そう振り返るのは、2代目の長内友二さんの長男で、現在の店主である長内敬憲さん。「るもいの乙女」は、そんな長内さんが小学生の頃に生まれた。
「るもいの乙女」のパッケージに描かれる「ツツジ」が、留萌市の花になったのは、1977年10月。留萌が市になって30年(開基100年)を記念してのことだった。
「最初は、”ツツジ”のついた商品名にしたかったみたいですが、NGが出たようです」
市民みんなの花になったばかりの「ツツジ」を独り占めするのはダメということだったのかもしれない。
そこで、2代目の父は「ツツジ」の花言葉に目をつけたのではないかと息子の長内さんは推測する。
赤いツツジの花言葉は「恋の喜び」。「るもいの乙女」の商品紹介には、こうある。
つつじの花は青春のいろ。その紅い炎がもえる時わが心はもえ立つ。
つつじの香りは青春のかおり。そのやさしく甘い蜜を求めて人はうたう愛のリフレインを。
節目がちの乙女たちの恋の喜びを表したお菓子なのかもしれない。
「父はロマンチストでしたから」と長内さん。
そして生まれた「るもいの乙女」は、1978年頃の発売以来、レシピも昔ながらのホイル焼きの製法もパッケージもずっとおなじ。半世紀近くにわたり『千成家』のロングセラーとなっている。
バター生地の中に生クリームを練りこんだ白あんに、生地を重ねる。「るもいの乙女」の工程は昔から変わらない。
変わらないことの価値
現在の店主である長内さんは、小学校の文集に「将来はお菓子屋さん」と書いている。今も昔も甘いものは大好き。ただ、店の商品を食べさせてもらったことはないという。
「幼稚園の頃にこっそり食べて、父にものすごく怒られたのをよく覚えていますね」
父はとにかく厳しかった。しかし、その背中を息子の長内さんはしっかりと見ていた。
高校2年の頃、「お前はここに行くんだ」と、東京・上野毛にある製菓専門学校のパンフレットを渡された。日本で唯一菓子業界が設立した専門校だ。
「自分が継ぐんだなと自然と受け入れていました。嫌ではなかったですね」
ただ、親子で菓子作りをすることはなかった。すでに父の体は病に侵されていた。長内さんが高校3年生の時に他界。母が3代目となり、ほどなく姉の夫が4代目を継いだ。
専門学校を卒業した長内さんは、千葉と埼玉の菓子屋で各1年ほど修行をして帰郷。母、姉、義兄とともに『千成家』を支えていく。
当たり前だが、1つの製品を時間をかけて学びながら作っていく専門学校と、大量の商品を次々作っていく仕事では、まったく違う。修行時代は皿洗いなどの下働きが多かった長内さんは、本格的な菓子作りに当初は戸惑いもあった。
「速く、たくさん、それでいて丁寧に作る。それが難しかったですね。20代の頃は、その仕事に慣れるのが大変でした」
2023年に廃駅となった旧留萌駅。その目の前にある留萌駅前自由市場は、地場産の新鮮な魚介がズラリと並ぶ留萌市民の台所だ。
その頃の留萌の町に目を向けると、人口は減りつつあったが、まだ3万人ほどいて、にぎやかさを保っていた。
やがて2000年代に入り、減少のペースが上がり、いまや人口はピーク時の半分以下の2万人を切っている。
「何十年ぶりに留萌に帰ってきた友だちが悲しそうな顔をしてましたね。この街、こんなになっちゃったのかって」
『千成家』の前に立つ4階建のボーリング場は閉店してから半世紀近くたつが、壊されることもなく廃墟のまま立ちすくんでいる。
「壊すだけでも億の費用がかかるそうですからね」と長内さん。そんな空き家や空き地が町にはいくつもあるという。
「最近では日曜日も閉めている店が増えています。地元の人は旭川なんかに買い物にいっちゃうんで、お客さんがこないんですよ」
観光客も来るにはくるが、お目当ては海鮮だったりで、お菓子を買う人は少ない。
個包装された「るもいの乙女」。最近は、若い人の目にも留まるようで、50年近く前のデザインだからこそ醸し出せる魅力がある。
長内さんが、5代目として店を引き継いで15年。父の生み出した商品やパッケージ、包装紙も当時のままだ。
「もう古いから変えようかという話が出たこともあります。ですが『これが千成家だよ』と言ってくれるお客様の声をいただくと、これは変えられないなって」
そんな『千成家』のお客様は、台頭するコンビニスイーツにはないお菓子を求めている。久しぶりに故郷の留萌に帰ってきた人たちが、みんなで食べようと買いにきてくれる。
「留萌の自然や名所にちなんだ商品も多いですし、ずっと変わらないスタイルなのがいいんでしょうかね。どこかに懐かしさを感じてもらえているのかもしれないですね」と長内さん。
創業から70年。人口減少や景気の波にさらされ、時代が激しく移り変わっても、『千成家』は変わらないことの価値を守り続けている。