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群馬県 沼田市

”世界一おいしい”と評された、賛否両論の手焼きのバウム。 (1/2)

バウムクーヘン 洋菓子工房 樫の木

聞き手 小林みちたか

写真 梅原渉

群馬県北部。雄大な山々に囲まれ、いまも豊かな自然がのこる沼田市は、1990年に日本ではじめて人と自然の共生を目指す「森林文化都市」に認定された。

「東洋のナイアガラ」と称される「吹割の滝」は、新緑や紅葉と季節ごとに表情を変える名爆で、近年は訪日観光客の姿も増えている。

そんな東京から日帰りも可能な沼田の町に、明治時代から時を重ねる一軒の洋菓子店がある。 

『洋菓子工房 樫の木』

取材中もお客様が途絶えない。そして多くの方が同じ商品を注文する。

切り株のように太い年輪にチョコがコーティングされた「バウムクーヘン」だ。

『樫の木』の「バウムクーヘン」は、チョココーティングがスタンダード。焼き目と生地の幅がランダムで、本物の木の年輪のよう。機械では作り出せない、自然のもつ美しさを感じられる。

袋を開けた瞬間、ふわっとラム酒のいい香りが立ち上がる。

その芳醇さは、苦手な人には強すぎるかもしれないが、好きな方はたまらないだろう。

一口食べれば、ぎゅっと詰まった歯応えと生地のしっとりさに驚く。

『樫の木』の「バウムクーヘン」は、すべて手作り。完成まで3日間じっくりと時間をかける。生産量は限られるが、昔ながらの2本焼き製法は、機械生産では作り出せない、手焼きならではの豊かな味わいを生み出す。

ガラス張りの小さな部屋で、6枚のバーナーと対峙しながら、黙々とお玉で生地をすくい焼き重ねるのは、『樫の木』のオーナー・鈴木博之さん。

「夏場は、もう天然のサウナ。汗の量は半端じゃないです」と笑う。
本場・ドイツには、「バウムクーヘン職人は長生きしない」という格言があるとか。

まさに命を削りながら作る職人の情熱が、一層ずつ年輪のように重ねられている。

75センチの木の棒を手で回しながら、お玉ですくった生地をかける。かけ終えたらハンドルを回し、奥のバーナーへ移動させて焼き上げる。その間に、手前に戻ってきた生地に再び生地を重ねる。こうして1分ごとに同じ工程を繰り返していく。

店の片隅にあった宝物

『樫の木』の創業は、1907年(明治40年)。茨城から移り住んできた鈴木さんの曽祖父が沼田の町で「松月堂」という和菓子屋をはじめた。

その店を祖父が引き継ぎ、1966年(昭和41年)、鈴木さんの父・佳裕さんへと代が移る際に、「これからは洋菓子の時代だ」とケーキ屋になる。

店名は「鈴木」の”鈴”をとって、『ベル松月堂』。

「それまで、和菓子屋がクリスマスにケーキを販売するようなことはありましたが、純粋な洋菓子専門店は、沼田で初でした」と息子の現オーナー・鈴木さん。

そして、1991年に、再開発のあおりで、現在の場所へと移転する際、店名を『樫の木』にした。今度は「鈴木」の”木”を使った。

「最初は、”お菓子の木”としたのですが、そのまま過ぎて、どうも洒落てない。それで『樫の木』にしました。お菓子の響きも込められますし」

ちょうど沼田市が森林文化都市宣言を掲げた頃。森には樫の木がたくさん茂っているし、木の実を使った焼き菓子にも力を入れていた。ロゴには、樫の木の下でドングリを食べるリスの姿を描いた。

いまでこそ看板商品となった「バウムクーヘン」だが、その頃は、月1回程度、婚礼で注文が入ったら作るくらい。ショーケースの端にひっそりと置かれるお菓子の1つにすぎなかった。

だが、そんな片隅のケーキが、やがて『樫の木』の窮地を救うことになる——。

当時の沼田の地図に残る『松月堂菓子店』。「曽祖父は、なかなかのやり手だったようで、卸しを中心に商いを広げていて、町ではそれなりに存在感があったようです」

手間の分だけおいしくなる

「バウムクーヘンは親父が修行先で習ってきて、『ベル松月堂』の頃から作り始めました」

当時から、定番のプレーンのタイプではなく、チョコで表面をコーティングしていた今の形だった。

チョコレートは、わずかな温度差で風味も見た目も変わってしまう繊細な素材。パティシエの中でも、「ショコラティエ」という専門職があるほど難しい。

そのチョコを、2日かけて直径16.5センチになるまで焼き上げた生地に、丁寧にコーティングするという手間のかけよう。

さらに、味の深みと芳醇な香りの決め手となるラム酒をたっぷり使っているのも、60年近く前の地方の菓子店となれば、相当に珍しかっただろう。

「親父は、何かにつけて、ちょっとオリジナルなことをしたがるんです。根っからの職人気質なんでしょうね」

そのためなら手間を惜しまない。

ただし、「その伝統を引き継ぐこっちは大変ですよ。プレーンの方が全然楽ですから」と鈴木さんは笑う。

バウムクーヘンは、一気に大きく焼き上げられないのが特徴。手焼きでここまで焼き上げ、チョコまでやるクーヘン屋は少ないだろう。「二重の技術の高さとこだわりの強さを誇示していて、親父の性格をよく表しています」と鈴木さんは笑う。

だが、その”ひと手間ふた手間”が『樫の木』を救うことになる。

移転して、6年が過ぎた頃。

町には洋菓子店も増え、「売り上げは徐々に厳しくなっていたと聞いてます」と当時東京で働いていた鈴木さん。

そんなある日。店にふらりと入ってきたのが、作家の吉本ばななさんだった。

「キッチン」などの作品で世界的に知られ、30カ国以上で翻訳される人気作家。実は、自称”バウムクーヘンマニア”という。

丁寧に時間と手間をかけた味は、ウソをつかなかった。

ばななさんは、『樫の木』の「バウムクーヘン」をひと口食べるなり、こう言った。

「これ、最高!」

評判は瞬く間に全国へと伝わり、メディアの取材が相次ぎ、沼田を代表する銘菓へと駆け上がっていった。

あの人気名作ゲーム「桃太郎電鉄」に「沼田のバウムクーヘン屋」として登場しているというのだから、すごい。

おかげで売り上げもV字回復。しかし、喜びも束の間、予期せぬ出来事が『樫の木』を襲う。

「お袋から泣きながら『パパが死んじゃう!』って伝言が入ってて……。ああ、まずいことになったなと思いました」

『樫の木』のバームクーヘン同様、たくましい腕っぷしを誇るオーナーの鈴木博之さん。子どもの頃から続けている空手はなんと5段。筋肉パテシエとして、テレビに出演したこともあるという。

退路を断つ

「親父はスキルス胃がんでした」

進行が速い上に、見つかりにくい。発覚して1年以内に亡くなる方も少なくない相当にやっかいな病だ。

鈴木さんは次男だが、6歳上の長男は、自他ともに継ぐようなタイプではなく、子どもの頃から「継ぐなら、自分なのかな」という意識はあったという。

ただ、甘いものは好きでも、作ることに興味はなかった。父からも無理に継ぐ必要はないと言われ続けていた。

「継がなくても、いいのかな」という思いを持ちつつも、鈴木さんは、東京の大東文化大学経済学部を卒業し、百貨店や旅行代理店で様々な接客のスキルを学んだ。

そしてディズニーランドの運営会社であるオリエンタルランドに就職し、持ち前のエンターテイナーとしての気質が開花。

ディズニーシーのオープンで人員が手薄になり、今後はみんなをまとめるようにと上司から話をいただいていた矢先の知らせだった。

病が見つかっても、父は「継いでくれ」とは一言もいわなかった。ただ、兄からは頼まれた。

「元気づける意味でも、継ぐふりだけでもいいから帰ってくれ」

迷いながらも、鈴木さんは帰郷を決めた。

チョコがけは、3日目の朝に行う。チョコは、夏、冬、春秋と基本は3種類。さらに、その日の気候に合わせて、配合を調整する。「わざわざ面倒なことをしています」と鈴木さんは笑うが、『樫の木』の味には欠かせないから、手は抜けない。

「会社の方も休職して実家で思う存分やってこいといってくれて」
ダメなら東京に戻ればいい。そう思っていたが、実家の状況は想像以上に緊迫していた。

「1週間後には親父が手術を受ける。1ヶ月後には取材も入っている。毎日お客様もいらっしゃる。これは半端な覚悟じゃできないなと思いました」

家族も、店も、守れるのは、自分しかいない——。

鈴木さんは、退路を断ち、ここで骨を埋める、そう腹を括った。

ただ、残された時間は、わずか1週間しかなかった。