愛媛県 今治市
溶けるような白あんに込められた、100年の愛とロマン。 (1/2)
モア モアヤマダ
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉
瀬戸内海の島々を渡りながら、四国と本州をつなぐ「しまなみ海道」。
サイクリストの聖地ともいわれ、橋を駆け抜けながら眺める美しい青い海は、今や国内外の観光客を惹きつける人気のスポット。
その玄関口となる愛媛県今治市は、古くから造船の町として栄え、タオルの町としても知られる。
JR今治駅から歩いて15分。ケヤキ並木が700メートルも続く通りを抜けた先に、創業100年を超える洋菓子店『モア ヤマダ』がある。
瀬戸内海に面する今治の町。『モア ヤマダ』も海まで2キロほどのところにある。日本屈指の海城として知られる今治城も歩いて20分と近い。
朝8時から夜10時まで、365日休みなし。洋菓子店でありながら、地元の人々の憩いの場として愛される喫茶でもあり、ランチが評判のレストランでもある。
その看板商品が、店名にもなっている「モア」。
見た目はスティック状のチーズケーキ。しかし一口食べれば、しっとりなめらかでありながら、やさしい甘さが口に残り、それがいつの間にか溶けていく。
看板商品の「MOA(モア)」。長さ10センチほどのスティック状で、子どもでも片手で食べられるサイズだ。
その秘密は“白あん”。さらに、ほのかに香るブランデーが上品な余韻を添える。
和でも洋でもない、和洋折衷の焼き菓子「モア」。発売から50年以上、今治の人々に愛されてきた名菓だ。
けれど、発売当初はまったく売れなかったという。
和洋折衷のような焼き菓子の「モア」。印象的な白あんは、店内で蒸している。多彩なメニューがあるので、あんみつやぜんざいでも、あんこは活躍している。
はじまりは、和菓子屋だった
『モア ヤマダ』の原点は、大正時代の終わりにさかのぼる。
菓子職人・山田一海(かずみ)さんが、和菓子店「松鶴堂(しょうかくどう)」として創業したのが始まりだ。
「一海さんは明治生まれの職人気質の人でした」と語るのは、現在店を切り盛りする3代目の山田令子(よしこ)さん。大阪出身で、2代目・山田隆靖(たかやす)さんの妻である。
3代目の山田令子(よしこ)さん。明るく、やさしいお人柄はファンも多い。地元・今治FCの選手たちにも慕われ、移籍した選手が「元気をもらいたい」と訪ねてくるほど。
2代目の隆靖さんは5人きょうだいの三男。年の離れた長男は東京で就職し、次男はアメリカのサンフランシスコでお菓子屋を営んでいた。
姉と妹が1人ずついたが、東京で大学生だった隆靖さんは、長男から「俺たちは戻れんから、(店は)お前が戻ってやってくれんやろか」とお願いされたという。
家業とはいえ、継ぐつもりはなかったから、お菓子作りの勉強もしていなければ、経験もない。むしろ、ビールが好きだからビール会社もいいなとか、海外に行ってもいいなとか、そんな将来を思い描いていた。
しかし10歳も歳の離れた長兄は、親のような存在だったそうで、「長男に言われたら、嫌とはいわんからね」と令子さん。
いろんな思いを飲み込みながら、隆靖さんは、大学を卒業後、今治へ戻った。
創業当時の和菓子店「松鶴堂」から、店名も何度か変わっている。「この頃は周りは田んぼばっかりでした」と令子さん。
帰郷から1年ほど経ったある日、菓子屋の材料屋さんに就職した大学時代の友人が今治にやってきた。
「東京では洋菓子が流行ってる。これからは洋菓子の時代だ」とアドバイスしてくれ、「こっちへくるなら店を紹介するから、そこで修行したらどうか」とまで言ってくれた。
「僕には時間がない。早く店を継ぎたいから、早く仕事を覚えられるお店でなけれならない」と考えた隆靖さん。
大きなお店では、焼き物何年、練り物何年と修行に時間がかかる。だから、全部習える小さなお店、しかも通勤時間も無駄にしたくないから、住み込みのできるお店を探して欲しいと友人に頼んで、見つけてもらった。
その店は千葉にあり、主に東京に洋菓子を卸していて、菓子作りに専念できる環境だった。
1年という限られた時間の中、隆靖さんは「レシピなんかを一生懸命メモとって、お菓子作りを必死に覚えていったみたいですね」と令子さん。
そして千葉から今治に戻ってきてすぐの1968年頃に令子さんと結婚。2年後には、長男の修作さんが生まれた。
工場で「モア」をつくる職人さん。洋菓子の商品数も多く、喫茶では食事も作るので、とても令子さん一人では手が足りない。
和から洋へ、そして「モア」の誕生
千葉での1年間の修行で、一通りの洋菓子作りを覚えた隆靖さんは、「これからは洋菓子もやるから、『松鶴堂』だとピンとこない」と父である一海さんに店名の変更を申し出た。
父の一海さんも「ああ、いいぞ」と受け入れてくれた。「今治に帰ってきてくれたからという思いもあったんやないですかね」と令子さん。
『松鶴堂』から『菓子の山田』、さらに『ヤマダ洋菓子店」へと店名を変えていく。
人気のいちごショートのホールケーキ「わんわん物語」。店内製造だから、商品にないケーキも、相談すれば、つくってもらえることも。
隆靖さんはショートケーキやチーズケーキといったオーソドックスな洋菓子をつくっていったが、当時の今治ではまだ洋菓子は珍しく、和菓子の方が売れていた。
そんな中、隆靖さんが生み出したのが、渾身の新作「モア」だった。
和菓子屋の父と洋菓子屋の息子だからこそ生まれた「モア」。渾身の自信作だったが……
洋菓子に“白あん”を合わせた独創的なレシピは、『松鶴堂』から続く和菓子屋としての歴史があるからこそ。
また、アメリカで菓子屋を営んでいた次兄から「あんがい和菓子が人気だ」という話を聞いていた。洋菓子を食べ慣れているアメリカ人が和菓子を好むなら、和洋折衷のお菓子もいけるんじゃないかと考えたよう。
「最初は100円だったと思います。箱も作って、包装紙も作って、材料とかいろいろ経費を考えるとその値段。でも、お饅頭が十数円の時代に100円じゃ高くて誰も買わん。さっぱり売れんかったですね」と令子さんは述懐する。