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青森県 十和田市

手触りだけを頼りに作る、果肉たっぷりのしっとりケーキ。 (1/2)

相馬菓子舗

聞き手 小林みちたか

写真 梅原渉

十和田湖や八甲田山といった景勝地で知られる青森県十和田市は、近年、アートのまちとしても人気が高まっている。

その中核的な存在である十和田市現代美術館の元館長で、無印良品の創設にも携わったクリエイティブ・ディレクターの小池一子さんが、絶賛するスイーツがある。

美術館から歩いて8分ほど。国道102号線沿いに建つちいさな菓子屋。
『相馬菓子舗』の「アップルケーキ」だ。

しっとりした生地の中に、りんごの果肉がたっぷり入ったパウンドケーキ。シャキシャキの食感がジューシーで、手のひらサイズでも、食べ応え十分。

そして昔から変わらない真っ赤なりんごが大きく描かれたレトロなパッケージもかわいい。さすがアートのまちの老舗菓子屋だ。

お店には、県内外からはもちろん、最近は海外からも多くのお客様が訪れる。

それでも父から店を継いで40年以上という相馬英夫さんは、控えめな言葉を繰り返す。

「何も特別なことは、していないんですよ」

スクエアなパッケージに、真っ赤なりんごのイラストが目を引く『相馬菓子舗』の「アップルケーキ」。

はじまりは、どら焼き

相馬さんの父・明寿さんは、弘前市で和菓子屋をしていた。

ただ思うように商売は上向かず、姉が働いていた十和田観光電鉄(通称・十鉄)の製菓部職員となる。

昭和34年(1959年)からは「名物十和田のどら焼き」を看板に、十鉄の中央停留所で直売店をはじめた。

これが評判となり、またバスの乗降客から見える場所で作りたてを買えることもあって、どら焼きは売れに売れた。

しかし、明寿さんは、昭和40年(1965年)に十鉄を退職。年老いた親の世話をするということだったが、

「どこかで毎日、どら焼きばかりを作る日々に飽きてしまったんだと思いますよ」と息子の相馬さんは笑う。

直営売店の開設を知らせる当時の「十和田観光」の社内報。「名物どら焼きはすでに定評あり」と書かれるなど、相馬さんの父・明寿さんの高い製菓技術がおいしいどら焼きを生み出したと評判だった。

その後、現在のお店のある国道102号線沿いにできたテナントでお店をやらないかと声をかけられ、昭和46年(1971年)に、『相馬菓子舗』を創業した。隣には、電気屋さんとお肉屋さんが並んでいた。

得意な和菓子に加えて、洋菓子も作り始めたが、十鉄への義理から、どら焼きは一切作らなかった。

十和田市は人口5.5万人くらいの町だが、不思議とお菓子屋は多く、20軒以上ある。その流れを作ったのが、他でもない『相馬菓子舗』だという。

「父親のどら焼き屋が繁盛していたもんで、後追いした人が多かったんだと思います。まだまだ甘いものが少なかった時代ですからね。ま、私の想像ですけど」と相馬さん。

実際のところはわからないが、いずれにしても『相馬菓子舗』は、町で評判の菓子屋となる。

「その当時から車も持っていましたから、子どもながらにすごいなって思っていました。父親からも『お菓子屋は黙っていても、食っていけるぞ』って言われて。すっかり騙されましたね」と相馬さんは微笑みながら述懐する。

『相馬菓子舗』の相馬英夫さん。「町には和菓子屋より洋菓子屋の方が多いですかね。少し前に全国チェーンの人気店がやってきて、おかげで、みんなヒーヒー言ってますよ」と笑う。

創業菓子の「アップルケーキ」

相馬さんは一人っ子。家業の景気のよさに、子どもの頃から「継ぐのかな」という思いは抱いていた。

ただ、機械いじりが好きで、工業高校に行きたかった。

しかし父に反対される。

「目が悪いから無理だよ、商業高校にしなって。そこでも父親に騙されました」と笑う。

その父の思惑通り、相馬さんは高校卒業後、菓子屋の道へ。東京の洋菓子店で4年半修行し、23歳で十和田に帰郷する。

「本当はもう一度、どこかへ修行に出ようかと思っていたんです」

だが、父の明寿さんが体調を崩して倒れてしまった。

はからずも『相馬菓子舗』を継ぐことになった。

父はレシピノートを残していた。その中には、「アップルケーキ」も含まれていた。

「アップルケーキ」は、カットしたシロップ漬けのりんごをたっぷり使う。相馬さんの体に甘い香りが染みついているようで、午前中に病院なんかに行くと、「相馬さんはお昼前に来ないで!お腹が空いちゃう」と言われてしまうとか。

「アップルケーキは創業の頃から作っています。当時からアーモンドクッキーとともに看板商品でしたね」

青森といえば、言わずと知れたりんご王国。国内生産量の約60%を占めるこの地では、りんごは、もっとも身近な存在であり、りんごを使ったスイーツもたくさんある。

『相馬菓子舗』のアップルケーキは、決して珍しいスイーツではないかもしれない。いわゆるパウンドケーキの一種のフルーツケーキで、よくあるレーズンの代わりに、りんごが入っているだけともいえる。

「青森だからりんごに期待してもらえるのかもしれないですけど、そんな大したもんじゃないんですよ」と相馬さんも謙遜する。

ならば、いたって普通のスイーツが、無印良品を立ち上げ、世界中から来館者がやってくる現代美術館の館長だったトップクリエーターを魅了してしまう方が、逆に、興味深い。

さらに、”大したもんじゃないスイーツ”は、世界的な料理人の舌も唸らせてしまった。

「大手企業が作る大量生産、低価格の商品は強いです。だから、うちのような手作りの店は、特徴のある商品を作っていかなといかない」と相馬さんは語る。

台湾No.1シェフの突然の訪問

令和元年(2019年)、青森と台湾の台北が直行便で結ばれた。運休の期間はあったが、以来、台湾からたくさんの観光客が青森を訪れている。

ある時、台湾No.1シェフといわれる「アンドレ・チャン」さんが、青森県とのコラボレーション企画の一環で、十和田にやってきた。

チャンさんは、台湾人ではじめてミシュランガイドで星を獲得し、世界のトップシェフ100人に選ばれたフレンチの巨匠。

そんなアジアを代表するトップシェフのチャンさんは、十和田市現代美術館を鑑賞した後、十和田の銘菓として、『相馬菓子舗』のアップルケーキをご賞味した。すると、そのジューシーさに驚いたそうだ。

台湾No.1シェフのアンドレ・チャンさんが「アップルケーキ」とともに食べた「アップルバイ」は、十数年ほど前に相馬さんが開発した『相馬菓子舗』のもう一つの看板商品だ。

そして、閉店間際だった『相馬菓子舗』にアポ無しで突然やってきた。

「どうやらお口にあったようで、『なんでこんなにジューシーなの?』『どんな焼き方をしているの?』『カットの仕方は?』と通訳さんを通じて、聞かれまして。いやーびっくりしました」と相馬さん。

一連の様子がSNSにアップされるや『相馬菓子舗』は一気にブレイク。生のりんごを使った「アップルパイ」とともに、「アップルケーキ」が大きな注目を集めるようになる。

いまや台湾はもちろん、チャンさんがミシュランガイドで2つ星を獲得したレストランのあるシンガポール、そして中国などアジアの観光客が、こぞって『相馬菓子舗』を訪れる。

レシピも製法も父のオリジナルとはいえ、「どこでも同じように作っているんじゃないか」というほど、取り立てて特別なことはしていないという。

当たり前のことを当たり前にやっているだけ——。

そんな謙虚な言葉を繰り返す相馬さんだが、こうも付け加えた。
「それが、難しいことだとは思いますけどね」