静岡県 浜松市
明治創業の老舗で味わう、ニューヨーク生まれの濃厚ケーキ (1/2)
ニューヨークチーズケーキ 遠州菓子処 むらせや
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉

掛川駅から天竜浜名湖鉄道に乗り換え、単線をガタンゴトンと揺られること50分。
日本の原風景を眺めながら、ようやく着いた天竜二俣駅は、木造の母屋やプラットフォームなどが国の文化財に登録されている。
ノスタルジック満載な駅にはもう1つ、別の顔がある。
日本が世界に誇るアニメ「エヴァンゲリオン」のシリーズ完結編となった『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に登場する「第3村」のモデル地の1つなのだ。
映画の公開時には、多くのファンが聖地巡礼として、この小さな駅を訪れたという。
そんな駅のある浜松市天竜区は、区域の90%以上が森林という緑豊かな地域。市街地は狭く、政令指定都市の行政区としては、人口も人口密度も最小の区だ。

明治創業の『遠州菓子処むらせや』。遠州菓子とは、かつて遠江国(とおとうみ)と呼ばれた現在の静岡県西部にあたる遠州地域でつくられる菓子のこと。
森ばかりで人も少なく、商売には不向きにも思える天竜だが、その玄関口となる二俣の町に、明治から続く老舗のお菓子屋さんがある。
『遠州菓子処むらせや』
天竜二俣駅から車で5分ほど。150坪近くあるという広いお店は、茶室のような和のテイストで、歴史の町をかかげる天竜らしく、地元の創作銘菓がいくつも並ぶ。
そんな『むらせや』に、ニューヨーク生まれのケーキがある。
しかも生産数が限られる手作りながら、1週間で1500本も売れるという人気商品だ。

『むらせや』の「ニューヨークチーズケーキ」。手作りのため、1回でつくれるのは150〜160本くらいという。
はじまりは天秤棒
『むらせや』の創業は明治30年(1897年)。130年近い歴史を誇る。
「はじまりは、多分せんべいを焼いたり、駄菓子をつくったりして、天秤棒を担いで売っていたみたいです。いわば行商ですね」
そう教えてくれたのは、4代目の村瀬均さん。

4代目の村瀬均さん。創業の頃からつくっている最中は、現在「二俣城最中」となり、年間5万個も売れる人気商品となっている。
天秤棒で売ったお金で、また次の材料を買ってという極めて単純な商いをしていたそうだ。
当時の二俣は、二俣城の城下町。かなり賑やかな町で、天秤棒の商売も繁盛したのだろう。
やがて、大正から昭和にはいった1920年頃に、村瀬さんの祖父にあたる創業者の息子が跡を継ぎ、お店を構えた。場所は現在のお店から南へ300メートルほど離れたところ。
「基本的には和菓子屋ですね。団子やおはぎといった朝生菓子とか。あと最中なんかをつくっていたみたいです」
そして戦後の1950年代に入り、村瀬さんの父が3代目を継ぐ。
日本が世界有数の経済大国へと駆け上がっていく、その幕開けのような時代。「父の頃が、いちばん景気がよかったですね」という世の中は、いまでは想像もできないような雰囲気だったろう。
ちょうどその頃から、天竜のあたりでは大規模なダムの建設がつづいた。町も潤い、住民も増え、工事の関係者たちも行き交えば、何かと町の景気も盛り上がる。
1970年代に入ると日本の食生活も欧米化がぐっと進み、3代目の父は洋菓子をはじめる。
高度経済成長期、バブル期を経て、町にも大型スーパーができたりと、景気は最高潮。『むらせや』も大繁盛。
しかし、バブルが弾けるとスーパーも撤退。町は一気に活気をうしなっていった。
その少し前に『むらせや』を継いで4代目となっていた村瀬さんは、「なんとかしなきゃ」と焦った。
そして生まれたのが、「ニューヨークチーズケーキ」だった。

ニューヨークチーズケーキは、100年ほど前に、ニューヨークのカフェで誕生したといわれている。
天竜でニューヨークの味を
村瀬さんが4代目となったのは、バブル景気真っ只中の1987、8年頃。
別の仕事をしたい思いもあったが、3人兄弟の長男で、明治からの家業を自分の代で途切れさせるのも気が引けた。父からも「やれよ、やれよ」といわれていたそうだ。
「時代もよかったし、なんとかなるかなって。バブルが弾ける前の日本がいちばんいい時代でしたからね」と笑う。
お店を継いで5年。途端にバブルが弾けてしまった。
「世の中の流れが止まったような感じでしたね」と述懐する。
忙しいのに、売り上げはバブル期に遠く及ばない。町からは人がどんどん減っていった。2000年代に入っても日本の景気は上向かない。
その頃の『むらせや』は、3代目の父がはじめた洋菓子も少しずつ増え、さらに「クリーム大福」や「生どら焼き」といった和洋折衷的な商品を得意としていた。
「新しい商品をいろいろ試行錯誤していました。特に洋菓子のクオリティを上げていこうと考えていたんです」
そんな折、店に出入りしていた材料屋さんから「最近こんなのが増えてますね」と教えてもらったのが、ニューヨークチーズケーキだった。
「もちろん食べたこともありましたが、ちょっとクドくて、どうかなという印象で。でも、モノは試しでつくってみたんです」
自分でつくってみると、「あれ、結構いけそうだなって」と印象が変わった。
そして試作を重ね、2005年に『むらせや』のニューヨークチーズケーキが誕生した。

4代目の村瀬さんも信頼を寄せるベテランのスタッフさん。現在ニューヨークチーズケーキの製造は、主にスタッフさんたちが行なっている。
こだわったのは、ちょうどいいサイズ
最初は何か特別な名前をつけようかと思ったが、「あまりに忙しくて、ニューヨークチーズケーキなら、それでいっちゃおうと」
ストレートな表現は、ネーミングだけではない。
パッケージの絵柄もいろいろ案はあったというが、「ニューヨークといえば、自由の女神とマンハッタン。短絡的だけど、それでいいと決めました」
レトロな雰囲気が洒落ている質感のある包装紙も特に狙いがあったわけではなく、「ケーキが生地に貼りつかないような紙というだけ」と実用性から採用している。
このヒネリも流行も気にしない素直さが、逆によかったという。
下手にデザインやネーミングに凝った商品だったら、「どんなお菓子だろうか」と不可解で、手に取ってもらうまでもっと時間がかかっていたかもしれない。
商品がわかりやすいとお客様の反応は上々だった。

レトロなパッケージが印象的だが、販売当初はパッケージはなかった。「親戚からオフィスで食べにくいと言われて、それから1個1個包装するようになったんです」
そして村瀬さんがポイントにあげるのが、「食べやすいサイズ感」
当時見かけるニューヨークチーズケーキは、サイズが大きく、カットして食べるタイプがほとんど。
対して『むらせや』は、約7.5cm ×約2.5cm×約3cmと棒状で片手で持てるサイズ。
発売するや、オフィスや工場で手軽に食べられると評判になった。個包装だから、「はいどうぞ」と人に配りやすいのも功を奏した。
発売して1、2年すると、地元での評判を聞きつけたテレビ局がやってきて、番組にも取り上げられた。遠く仙台からやってきたテレビ局もあったという。さらに売り上げは加速していった。
もちろんサイズが食べやすいだけで売れるほど簡単ではない。
大前提は、おいしさ。
「だから材料は落としちゃいけない。基本中の基本です」と村瀬さんも語気を強める。