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神奈川県 逗子市

海へと続く商店街の入り口で、記憶を紡ぎ続けるロールケーキ (1/2)

ザバロール 珠屋洋菓子店

聞き手 丹羽亮一朗

写真 赤木瞬介

三浦半島の北西に位置し、相模湾に面する神奈川県・逗子。

山があり、海があり、そのあいだを、どこかゆっくりとした時間が流れている。

駅を降りた瞬間から、街には不思議なやわらかさがある。観光地の華やぎとも、住宅街の静けさとも少し違う。肩に入った力を、そっとほどいてくれるような空気だ。

逗子は、明治期に横須賀線が開通して以来、別荘地として開けてきた街でもある。かつては実業家や政治家たちの別荘が、逗子海岸沿いに並んでいたという。

彼らを惹きつけたのは、海の眺めだけではなかったのかもしれない。

都会からほど近く、それでいて、日常から少し離れられる場所。海風に吹かれながら、ただ息をするだけで、心の置き場所が変わる。逗子には、昔も今も、そんな余白が残っている。

JR逗子駅の東口を出ると、目の前にロータリーが広がっている。 右手に折れると、そこはまっすぐ歩けば15分ほどで海へと行き着く「逗子銀座商店街」だ。その潮風がふわりと通り抜ける商店街の入り口すぐに、一軒の洋菓子店がある。

『珠屋洋菓子店』

創業は1950年(昭和25年)。地元の人たちから「珠屋」の名で親しまれてきた、逗子を代表する洋菓子店だ。

ショーケースにはフランスやドイツ由来の洋菓子のほか、『珠屋』オリジナルの品々が並ぶ。

店に一歩足を踏み入れると、左手には色鮮やかなショーケース、右手には奥へと続くノスタルジックな喫茶スペースが広がっている。天井は高く、店内にはパリの下町を思わせるアコーディオンの音楽が流れている。

時計の針が11時を回り、喫茶の扉が開く頃になると、古くからの常連客がひとり、またひとりと、それぞれの特等席を目指して集まってくる。

いつもの席を探すように腰を下ろし、ショーケースの前では、迷う時間さえ楽しむようにケーキを選んでいる。大げさな会話はない。けれど、その静かな親しさが、この店と街との距離を物語っている。

50人は入れそうな広々とした喫茶スペースが、気づけば次々と埋まっていく。

接客にあたるスタッフは、焦茶色のエプロンを身につけている。左胸には、黄色い刺繍で「TAMAYA 1950」の文字。

きれいに磨かれたショーケースには、約40種類の洋菓子が並んでいる。

その中で、ひときわ目を引くケーキがある。

甘さが控えめで男性客にも人気の「ザバロール」。ひと口頬張ると、ラム酒の香りがふわりと広がる。

「ザバロール」

ココアのスポンジ生地で、たっぷりのバタークリームを包み込んだロールケーキ。表面はチョコレートでコーティングされ、つややかに光っている。

厚さは1カット、3センチほどだろうか。

名前の響きも印象的だが、それ以上に目を奪われるのは断面である。

ロールケーキといえば、「の」の字を描くように巻かれたものが多い。けれど、珠屋のザバロールは違う。

左右の端から中央へ向かって、生地が巻き込まれている。いわば“両巻き”のロールケーキ。

その断面は、どこかクジラの尻尾を思わせる。

相模湾のそばにある街で、海の気配をまとったようなケーキが、長く愛され続けている。そう思うと、そのかたちまで少し物語めいて見えてくる。

注文してしばらくすると、テーブルにザバロールが運ばれてきた。

フォークを入れ、口に運ぶ。

バタークリームが、すっと溶ける。

重たさはない。甘さも控えめだ。チョコレートの香り、ココア生地のほろ苦さ、そしてクリームのなめらかさが、口の中で静かにほどけていく。

懐かしいのに、古びていない。

一口目よりも、二口目。二口目よりも、三口目。

気づけば、フォークが止まらなくなっている。

ラム酒とオレンジキュラソーを利かせた特製のバタークリーム。配合は昔からほぼ変わっていないという。

「インチキじゃないんで」

珠屋の2階にある工場では、ラジオが流れていた。

1階の喫茶や売店の賑わいとは少し違う、淡々とした職人の時間がある。注文が入るたび、ときおり“ピピッ”という音が鳴り、下から連絡が上がってくる。

生菓子を一手に引き受けるのが、工場長の清水さん。焼き菓子と仕上げを担当するのが宮下さんだ。

清水さんは、焼き上がったシート型のスポンジ生地を調理台に置くと、表面にバタークリームを塗り始めた。

生地の大きさは、縦30センチ、横50センチほどに見える。

白いクリームが、ココア色の生地の上に、均一に伸ばされていく。手つきには迷いがない。けれど、機械的でもない。長年の感覚が、そのまま手に宿っているように見える。

「ここにいると、下からあれこれ声がかかるんですよ」
そう言って、清水さんはニヤリと笑った。

クリームを塗り終えると、いよいよ生地を巻いていく。

両端から中央へ。

左右の巻きが同じ大きさになるように、少しずつ形を整える。すると、あの特徴的な断面が姿を現した。

ザバロールの“顔”が、生まれる瞬間だった。

特徴的な巻き方によって底面積が広がり、ケーキが倒れにくくなるというメリットも。

巻き上げた生地の表面に、再びクリームを塗っていく。

「これ、ちゃんとしたバタークリームなんで。インチキじゃないんで」

セロハンを使って余分なクリームを落としながら、清水さんがぽつりと言った。

その言葉には、少し照れがあり、少し誇りがあった。

昔ながらのバタークリームというと、重たい、甘い、くどい。そんな印象を持つ人もいるかもしれない。けれど珠屋のバタークリームは、口に入るとすっと消える。後味がきれいで、いつまでも残らない。

その軽やかさは、良質なフレッシュバターがあってこそだという。

「要するに、ちゃんとしたバターを使っているということ。スーパーに行けば、1,500円くらいするわけですよ」

清水さんは、先ほどの言葉の真意をそう説明してくれた。

いい材料を使う。
手間を惜しまない。
変えないところは、変えない。

それは声高に語られる理念ではなく、毎日の仕事の中に染み込んだ姿勢なのだろう。

「今もちゃんとしたものを使ってはいますけど、昔の人はもっと良いバターを使っていたと思いますよ」
清水さんは、そう続けた。

黙々と手を動かす工場長の清水さん。ふとした一言に、やさしさとユーモアが滲む。

珠屋のザバロールは、創業時から店に並ぶロングセラーである。材料へのこだわりも、きっとその頃から変わっていない。

クリームを塗った生地のかたまりを木板に乗せ、トレーに置くと、清水さんはコーティング用のチョコレートを温め直し始めた。

いよいよ仕上げだ。

レードルでチョコレートを掬い、生地の上から一気にかけ流していく。

チョコレートが、ぽたぽたとこぼれ落ちる。トレーのふちを叩き、余分なチョコレートを落とし切る。

しばらくすると、表面のチョコレートが固まり、つやが出てきた。

包丁で両端を切り落とす。

「ザバロール」の完成だ。

この1本から、レギュラーサイズ2本分、カットケーキで14カット分が切り出されるという。

独特の両巻きが、なぜ生まれたのか。

清水さんにも、はっきりした理由はわからない。

ただ、ひとつだけ確かなことがある。

「他では見たことがない巻き方」

そう言えるかたちが、今日も変わらず、珠屋の工場で作られている。

ココアスポンジ、バタークリーム、ミルクチョコレート。この組み合わせが一番だと清水さんは言う。

三代で選ぶ、あの日と同じケーキ

珠屋の始まりは、戦前にまで遡る。

創業者の高梨富右衛門(とみうえもん)さんは、逗子に隣接する葉山の森戸海岸で、海の家を営んでいた。学生たちが部活で使うヨットを預かることもあったという。

戦後まもなく、富右衛門さんは逗子に店を出す。

場所は、今も珠屋がある逗子銀座通りの一角。

ただし、最初から洋菓子店だったわけではない。

当初は、喫茶店と写真店だった。

1950年、富右衛門さんは、日本郵船でコックをしていた板倉さんを菓子職人として招き入れる。

ここから、洋菓子店としての珠屋の歴史が始まった。

数年後には写真店をたたみ、喫茶を併設した洋菓子店という、今につながるかたちが出来上がる。

ガスバーナーで温めた包丁を迷いなく生地に入れる。手際のよさが際立つ瞬間だ。

珠屋のショーケースに並ぶケーキには、創業まもない頃から存在しているものが多い。

軽いスポンジで黄桃と生クリームを巻き込んだ「ピーチロール」。
ホワイトチョコの網目模様が愛らしい「メロンケーキ」。
「あんずモカ」「デビルス」「サバリン」「モザイク」。

名前を聞くだけで、昭和の洋菓子店のショーケースが目に浮かぶ。

そして、「ザバロール」。

ウィーンの銘菓・ザッハトルテを、日本人の好みに合わせて仕立て直したというこのケーキも、創業時から続く珠屋の名物である。

見た目も、味も、製法も、当時からほとんど変わっていない。

珠屋の店頭では、「懐かしい」という言葉をよく耳にする。

それは、ただ古いという意味ではない。

子どもの頃に見たケーキが、今も同じ顔でショーケースに並んでいる。
昔、親に買ってもらったケーキを、今度は自分の子どもに選ばせる。
あるいは、孫の手を引いて、また同じ店を訪れる。

そんな時間の重なりが、「懐かしい」という一言にこもっている。

思い出のケーキを、自分の子どもと。

そして、孫と一緒に。

珠屋では、それが特別な光景ではない。

この店にとっては、ずっと続いてきた日常なのだ。