神奈川県 逗子市
海へと続く商店街の入り口で、記憶を紡ぎ続けるロールケーキ (2/2)
ザバロール 珠屋洋菓子店
聞き手 丹羽亮一朗
写真 赤木瞬介
30年近く珠屋の店頭に立ち続けている矢幅千代さんは、注文を受けたケーキを箱に詰め終えると、カウンターで包装に取りかかった。
一枚のテープも使わずに、箱をきれいに包み上げる。
ショーケースの上に吊るされた金色のリボンを鋏で切り、箱に結びつける。
その作業は、淀みがない。
早いのに、雑ではない。丁寧なのに、遅くない。長く続けてきた人の手だけが持つ、静かな美しさがある。
包装紙は、ライムグリーンとレモンイエロー。
鮮やかで、明るくて、どこか胸が弾む色だ。手に持った瞬間、今日は少し特別な日なのだと思わせてくれる。
この包装紙も、創業時から変わらないもののひとつである。
「デパートで催事なんてやると、パッと目に入りますよ」
矢幅さんはそう言う。
なかには、「包装はしなくていいので、包装紙をそのままください」というお客さんもいるそうだ。
平日でも人の姿が絶えない喫茶スペース。地元の人たちの、憩いの場になっている。
珠屋の象徴ともいえる包装紙。
しかし、過去に一度だけ、変更が検討されたことがある。
それは、富右衛門さんの娘にあたる加藤千津子さんが、珠屋の社長を務めていた時代のことだった。
「この包装紙は派手すぎる」
そう思っていた加藤さんは、色味を変えた包装紙を試作した。
くすんだグリーンとグレーで構成された新しい包装紙は、より落ち着いた印象のものだった。
ところが、その新案を店に持っていくと、従業員から一斉に反対の声が上がった。
「これじゃ珠屋じゃない!」
誰かに言われて守っているのではない。
働いている人たち自身が、もう知っていたのだ。
この色でなければ、珠屋ではない。
東京の老舗業者に発注しているという包装紙。定番の黄と緑のほか、仏包装用のグレーと茶もある。
結局、新案は見送られることになった。
けれど、その話には思わぬ続きがある。
矢幅さんは、可笑しさをこらえるようにして話してくれた。
「お客さんから『これは仏包装でしょ?』って言われたんです。それで『あぁそうだ、仏包装に使えばいいんだ』『それにしましょう』となり、ほんとに仏包装になっちゃった」
こうして、没になるはずだった包装紙は、新たな役割を得ることになった。
今も珠屋では、仏包装としてその包装紙が使われている。
「これがまた好評で」
そう言って、矢幅さんは笑った。
ちなみに仏包装の際は、金色ではなく銀色のリボンを使うそうだ。
変えようとしたものが、別のかたちで店に残る。
珠屋らしい話だと思った。
逗子銀座商店街の創立は1953年。『珠屋』は、その3年前からこの場所で商いを続けている。
大入袋に残る、働く人へのまなざし
矢幅さんが珠屋に入ったのは、1997年、平成9年のこと。
たまたま店の前を通ったとき、アルバイト募集の張り紙を見たのがきっかけだった。
先に働き始めたのは、矢幅さんの娘さんだった。当時、海外留学を控えていた娘さんは、出発までの2、3か月の空白期間を利用して、珠屋でアルバイトを始めた。
そのときに、「お母さんもどうですか?」と勧められ、矢幅さんも珠屋で働くことになった。
「入ったときから忙しかったですね。ずいぶんお客さまには来ていただきました。やっぱし売れてましたよ。そういう覚えがありますね」
矢幅さんは、創業者である富右衛門さんの顔を知る、数少ない従業員のひとりである。
矢幅さんが珠屋で過ごした最初の1年は、富右衛門さんが珠屋の経営に携わった最後の1年でもあった。
「従業員思いの社長でしたね。とっても」
そう言って、矢幅さんは懐かしそうに当時を振り返る。
「ちょっと店の売上が多く出たときは、500円とか1,000円とかの大入袋を『ご苦労様、ご苦労様』ってみんなに配って。そういうような社長でしたね」
大入袋の中身は、大金ではなかったかもしれない。
けれど、そこには働く人への労いがあった。
使い込まれた道具や器具が並ぶ工場。約40種類の菓子はすべてここで作られ、1階の売り場に降ろされる。
店が忙しい。
お客さんが来てくれる。
その喜びを、みんなで分け合う。
そういう小さな記憶が、店の空気をつくっていく。
富右衛門さんが一線を退いたあと、何度かの社長交代を経て、娘の加藤さんが珠屋の社長に就任する。
加藤さんもまた、従業員を大切にする人だった。
お節句になると、必ず季節の和菓子を買ってきて、従業員にふるまってくれた。従業員の誕生日には、好きなケーキをプレゼントしてくれるのが恒例だった。
「加藤はそういう人でした。だから多分、つながっているんだと思います」
店は、商品だけで続いていくのではない。
人が人を大切にする感覚。
それが、作る人にも、売る人にも、お客さんにも、少しずつ伝わっていく。
珠屋の変わらなさは、ケーキの味だけではないのだ。
商店街の往来がよく見えるこの場所が矢幅さんの持ち場だ。売店に立ちながら喫茶の様子にも目を配っている。
「変わらない」が、店の空気になるまで
変わらないケーキ。
変わらない包装紙。
変わらない包み方。
珠屋は、「変わらない」という価値をずっと大切にしてきた店のように見える。
けれど、そのことを歴代の社長から訓示のように伝えられた記憶は、矢幅さんにはないという。
理念として掲げられたのではなく、日々の会話の中で、少しずつ染み込んでいったものだった。
「お客さまと話しているときなんかに、加藤の口から『変わらない』って言葉が、ちらちらっと出てくるんですね。それであたしたちも話に乗って。多分、先代がそういう教えだったんだと思います」
ちらちらっと出てくる言葉。
その表現が、なんとも珠屋らしい。
大きく掲げるのではなく、強く押しつけるのでもなく、ふとした会話の端にあらわれる。
「変わらないね」
「昔からこれだよね」
「やっぱり珠屋はこうじゃないとね」
そんな言葉の積み重ねが、店の芯をつくってきたのだろう。
変わらないのが普通。
変わらないのが珠屋。
その感覚は、空気のように、矢幅さんの中に根を下ろしている。
入り口に貼られたステッカーには『珠屋』を代表する3つのケーキの図柄が並ぶ。
矢幅さんは今、売店業務ができるようにと、2人の従業員にそのやり方を教えている。
ケーキを箱に入れる。
たったそれだけの作業にも、珠屋の決まりごとがある。
「ただ入れれば良いっていうんじゃなくて、お客さまが家に帰って、箱を開けて、『わぁ、きれい』って思ってもらえるように入れないといけないんです」
箱を開けた瞬間の、小さな歓声。
その一瞬のために、ケーキの並べ方を考える。
「ちょっと派手な色を真ん中に入れる」とか、「端のほうにやらないの」とか。
矢幅さんも、そうした感覚を先輩たちから教わってきた。
ただ、言葉で説明すればすぐに伝わるものでもない。
「ちょっと違うなぁ」と感じることもある。けれど、少しずつ、少しずつ、そのやり方を引き継いでいる。
矢幅さんの立つ場所からは、ガラス越しに逗子銀座商店街の往来がよく見える。
その景色は、昔と比べてずいぶん変わった。
スーパーが閉店した影響は大きく、商店街から人の賑わいが少なくなった。昔からある店も、少しずつ減っている。終戦直後から営業していたという食堂デパートも、数年前に店を閉じた。
「古いお店がなくなるっていうのは、ほんと残念だなって思いますね」
矢幅さんはそう語る。
ショーケースのケーキは喫茶スペースでも楽しむことができる。生クリームの「ピーチロール」も定番のひとつ。
街は変わっていく。
人の流れも、暮らし方も、買い物の仕方も変わっていく。
それでも、珠屋に向かう客足が途絶える気配はない。
連休ともなれば、今も喫茶スペースに座れないほどの賑わいを見せる。
変わらないものがあるから、人はまた戻ってくるのかもしれない。
あの日食べたケーキ。
あの鮮やかな包装紙。
金色のリボン。
箱を開けたときの、家族の声。
思い出は、案外、味だけでできているわけではない。
「変わらないで、みんなが親しんでくれるのがいいんじゃないでしょうか。『わぁ、変わらないわ』って、みんなが言ってくれるから」
そう語る矢幅さんの言葉には、しみじみとした実感がこもっていた。
逗子の商店街の入り口に、珠屋は今日もある。
海へ向かう人。駅へ戻る人。買い物帰りの人。昔からの常連。初めて訪れる人。
その誰かが、ショーケースの前で足を止める。
そして、あの両巻きのロールケーキを見つける。
ザバロール。
バタークリームを包んだ、少し不思議なかたちのケーキ。
けれど逗子の人たちにとっては、きっと、それ以上のものだ。
変わらない店がある。
変わらない味がある。
変わらない包装紙がある。
そのことが、誰かの時間を、静かにつなぎとめている。