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佐賀県 伊万里市

伊万里とイタリアをつなぐ、唯一無二の葡萄スイーツ (1/2)

エトワール・ホリエ

聞き手 小林みちたか

写真 梅原渉

佐賀県西端に位置する伊万里市は、伊万里焼の積出港として栄えた「焼き物のまち」。江戸時代、日本初の磁器として伊万里港(伊万里津)から遠くヨーロッパまで輸出され、王候貴族から「イマリ(IMARI)」と呼ばれ、愛された。

透き通るような白磁に、藍色や赤・緑・黄などの華やかな色絵が特徴で、華美な「金襴手(きんらんで)」様式はヨーロッパでも「白い金」と絶賛された。

そんな日本が世界に誇る伊万里焼に着想を得た数々のお菓子を生み出し、伊万里の郷土銘菓の最高峰として称賛されるお菓子屋さんがある。

JR伊万里駅から徒歩7分ほど。古伊万里通り沿いに本店を構える『エトワール・ホリエ』。

ショーウィンドウに大きな伊万里焼の壺が飾られている『エトワール・ホリエ』本店。

店内には、美しいお菓子の数々が整然と並ぶ。

看板商品は、入口に店名と見紛うほど大きな看板を掲げる「伊万里焼饅頭」だ。

伊万里焼の青磁に見る「貫入」というひび割れのような仕上がりを再現する独自の手工、ほっくりした白餡を味わい深い皮でくるみ、まさに『エトワール・ホリエ』の歴史とこだわりを体現したような銘菓。

JALのファーストクラスの機内食にも採用されていたというお墨付きだ。

看板商品の「伊万里焼饅頭」。本家伊万里焼のひび割れ模様を見事に再現している。

店内の端に目をやると、大きな伊万里焼の壺。その色鮮やかな美しさに見惚れてしまう。

と思っていたら、「これ、お菓子なんですよ」

『エトワール・ホリエ』の5代目・堀江あさ子さんの言葉に、思わず、大きな声で「えっ!」と叫んでしまった。

「もう20年も経っていますから、少し色も褪せてきてしまって」

と言われても、遠目ではまったくお菓子とはわからない再現性。『エトワール・ホリエ』の伊万里への並々ならぬ思いの強さを感じた。

本店から車で5分。JR伊万里駅のすぐ南にある『エトワール・ホリエ』駅南店に飾られる伊万里焼を模したお菓子の壺。言われなければ、お菓子だと気づかないだろう。

始まりは、お煎餅

『エトワール・ホリエ』の創業は、明治33年(1900年)。創業者の堀江熊太郎さんは、長崎県大村市の出身で、商いをしようと各地を歩いていく中で、伊万里にやってきた。当時の伊万里は、魚がよく獲れ、町にはかまぼこ屋さんがたくさんあり、大いに賑わっていた。

「伊万里津からヨーロッパにも磁器を送っていた活気あふれるこの町なら、商売ができるんじゃないかと思い、はじめたと伝え聞いています」と5代目のあさ子さん。

『ホリエ菓子店』として創業したが、始まりは意外にも「せんべい屋」だったという。

「意図はわかりませんが、取り組みやすかったのではないでしょうか。創業者の思いを忘れないよう、120年経った今も年に1回、お店では手焼きの『生姜せんべい』を焼いています」

伊万里焼饅頭のイメージの強い『エトワール・ホリエ』だから、「どうしてお煎餅を?」と不思議がられるというが、ルーツをお伝えすると毎年のように楽しみにしてくださるお客様もいるとか。

『エトワール・ホリエ』の5代目・堀江あさ子さん。上品な佇まいと優しい笑顔がとても印象的。

やがて2代目の春一さんの時代に入ると少しずつ洋菓子のテイストも取り入れ始めていった。

昭和5年頃に生まれた「パサンズ」もその1つ。今で言うたまごボーロの生地をアレンジし、カルメラ・ソボロを表面にかぶせるなど、当時ではかなりハイカラなお菓子。

100年経った今も『エトワール・ホリエ』で最も古いお菓子として、令和のお菓子たちと肩を並べ、存在感を放っている。

そして終戦を迎えた昭和20年頃、3代目の茂男さんがお店を引き継ぐと、現在の『エトワール・ホリエ』の礎となるお菓子を次々と作り出していった。

華やかな色絵が特徴の伊万里焼のように、店頭には色鮮やかなお菓子たちが並ぶ。

伊万里焼をお菓子にした男

3代目の茂男さんは三男で、元々は跡を継ぐつもりはなかった。しかし長男が病死し、次男がビルマで戦死してしまったことで、明治から続く店を守るため、また両親を支えるために東京での勤めを辞めて帰ってきた。

「3代目はシュークリームやタルトなんかも作り始めました。本格的な洋菓子を出すお店としては、伊万里では一番早かったのではないでしょうか」

そう語るあさ子さんにとって3代目の茂男さんは義理の父にあたる。

『エトワール』本店の店内。照明をはじめとしたレトロモダンな店内もまた魅力だ。

そして、3代目の茂男さんは、昭和26年頃に看板商品となる「伊万里焼饅頭」を生み出す。のちにあさ子さんの夫となる4代目の利治さんが生まれた頃だ。

「遠くヨーロッパにも認められた伊万里焼のある伊万里の誇りある歴史をみんなに知ってほしい。だから、伊万里焼に負けないお菓子を作るんだと創意工夫を凝らしたそうです」

蓋付きお茶碗をモチーフに、表面に氷裂焼(焼き物表面のひび割れ)を再現し、トップのつまみをクルミで表現した。お菓子を包む横紙には、伊万里焼の代表的な図柄を配置するこだわり。

味の方も饅頭と名乗っているが、純粋な和菓子ではない。洋風の材料も加えながら、餡の中でも食べて旨味が広がる黄味餡と口当たりが優しいミルク餡をブレンドし、試行錯誤の末に仕上がった生地で餡を包み込んでいる。

終戦後にお店を継いだ3代目の茂男さんは、フランス菓子、ドイツ菓子、ウィーン菓子とさまざまなお菓子やケーキを作っていった。

3代目の茂男さんは、簡単に真似のできないお菓子を目指し、手間を惜しまなかった。

もちろん売れる保証はない。実際、茂男さんは妻をバイクの後ろに乗せて、「伊万里焼の饅頭を作りました」と言って、2人で1軒1軒、営業して回るなど地道な努力を重ねた。

苦労続きで「生活も決して楽ではなかったはずです」とあさ子さん。

それもこれも、「認めてもらえるものを作らんば、いかん」
その一心だったという。

茂男さんの思いは少しずつだが、確実に人々に伝わっていった。

誕生から70年以上、味も包装紙も大きく変えることなく、現在まで受け継がれている。

2017年にはJALのファーストクラスの機内食に選ばれ、名実ともに伊万里を代表する銘菓となった。

店頭には、この「伊万里焼饅頭」をはじめ、「古窯の都」、「陶磁の道」、「トンバイ有田」、「古伊万里」、「伊万里ルネッサンス」、「オールド・イマリ」、「伊万里焼Wスイーツ」などなど、伊万里にインスピレーションを得たお菓子が並んでいる。

ピサの斜塔が描かれたパッケージのイタリア風菓子「ウーバ」。

そんな中、ショーケースの片隅にひっそりと置かれるお菓子が気になった。

“Dolce italiano”(ドルチェ・イタリアーノ)と銘打たれた「ウーバ」だ。

伊万里とも焼き物とも関係のなさそうな、このお菓子もまた、『エトワール・ホリエ』を語る上で欠かすことのできない3代目・茂男さん渾身の逸品なのだ。