新潟県三条市
手焼きの四角いクレープは、住宅街でこっそり大人気 (1/2)
クレープ はやかわ菓子店
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉
新潟県の中央部。移住先として全国屈指の人気を誇る三条市は、金物製造業が盛んな「ものづくりのまち」として栄え、「日本一社長の多い町」としても知られる。
独自の技術を持つちいさな会社やお店が多く、親から子へと代々引き継がれながら、家業と地元三条の経済を守り続けている。
『はやかわ菓子店』もまた、父から子へと受け継がれてきたお菓子屋さんだ。
JR北三条駅から歩いて20分ほどの閑静な住宅街。まわりは戸建ての民家ばかりで、商店もなく、知らなければ通り過ぎてしまう。
そんな隠れ家のようなお菓子屋さんに、平日の朝からお客様が一人、また一人とやってくる。
『はやかわ菓子店』。「クレープ」ののぼり旗がほぼ唯一の目印。お店のSNSでも「初めての方はナビでのご来店をおすすめします」と案内されている。
お目当ては「クレープ」。
早い日だと午前中で売り切れることもあるという。
店頭には、バナナ、チョコ、ブルーベリー、マロン、抹茶のレギュラー5種と季節限定の計6種類の味が並ぶ。この時期(1月〜6月)の季節限定は、地元三条産の越後姫を使用した「いちご」。
三角形のクレープを想像していると、お店同様、ショーケースでも迷子になってしまうかも知れない。
『はやかわ菓子店』のクレープは、四角いのだ。
しかも高さもあり、色と質感もあいまって、まるで茶巾ずしのようなフォルム。
クレープの固定観念を思いっきりひっくり返してくれる、コロンと可愛いスイーツなのだ。
他県では見慣れない四角いクレープ。ラッピングがなければ、一瞬クレープとはわからないかもしれない。
四角いクレープの秘密
「発祥は、ここから少し北の村上市にあるお菓子屋さんです」
そう教えてくれたのは、『はやかわ菓子店』の2代目・早川純一さん。
今から50年近く前に、「持って食べられるケーキは作れませんか?」というお客様の声をきっかけに生まれたという。
それが評判となり、三条市にも伝わってきた。
目を引くのは、なんといっても、クレープらしからぬ、その厚み。
純一さんと妻のゆかりさんの流れるような共同作業を見せていただき、その秘密がわかった。
『はやかわ菓子店』の2代目・早川純一さん。寡黙な職人気質は父譲り。若い頃はバンドを組んでいたとか。
例えば、チョコなら、まずは、まん丸の生地の真ん中にチョコを配置。
そこへ生クリームをたっぷり絞る。かなりのボリュームだ。
「どんどん(絞る量が)増えている気がしますね」と純一さんも笑う。
その生クリームの上に、大きなスポンジがドンッと鎮座する。
このスポンジによって、茶巾ずしのようなフォルムを形成しているのだ。
そして、四方から生地で包み込み、ひっくり返して、フィルムケースに乗せて完成。
このフィルムケースの色を、チョコは茶、バナナは黄、抹茶は緑、ブルーベリーは紫、マロンは白、いちごは赤と、味に合わせている。
計6種類のコロンとしたクレープがショーケースに並んだ様は、鮮やかで美しい。
これが新潟ローカルスイーツの四角いクレープの構造だ。ただ形こそどこのお店も似ているが、当然、味はお店によって異なる。
親子2代に受け継がれる『はやかわ菓子店』のクレープは、どんな味なのだろう。
絞り袋の口金が大きく、生クリームもたっぷり。すべて手作業ゆえ、大量の注文が重なってしまい、寝ずに作ったこともあったそうだ。
店のお菓子を食べた記憶がない
『はやかわ菓子店』の創業者、早川三雄策(みおさく)さんは、昭和10年(1935年)、三条市の隣町の加茂市で生まれた。
昭和35年(1960年)頃に、東京へ行き、和菓子屋で修行をはじめる。ほどなく、現在の店主である純一さんが生まれる。
純一さんが小学生になった昭和53年(1978年)頃に、一家で新潟に帰り、現在の場所に『はやかわ菓子店』を創業した。
「父は、私以上に無口だったので、どうして菓子屋になったのかはわかりません。ただ修行先は和菓子屋でしたが、洋菓子もやりたかったようですね」と純一さん。
当時の『はやかわ菓子店』は、和菓子と洋菓子と、それぞれ2つのショーケースがあったという。
現在の『はやかわ菓子店』のショーケース。一番下の段に、6種類の「クレープ」が色鮮やかに並んでいる。
純一さんが中1の頃、『はやかわ菓子店』でも流行に乗って、四角いクレープをはじめた。
「売れましたね。おかげで、母もパートをやる必要がなくなりましたから」
ただ、そんな大ヒット商品のクレープを、純一さんは「食べた記憶がないんですよ」と笑う。
それどころか、お店のお菓子自体を食べた記憶がほとんどないという。
「だから菓子に興味もないし、店を継ぐ気もなかったです」
そんな純一さんは、工業高校を卒業後、製造の仕事に就いた。
そして人生が突如として暗転する。
世界中を経済危機に陥れたリーマンショックだ。
日本中の会社が大打撃を受けた。製造業を中心にわずか1年で1万5千を超える企業が倒産した。純一さんが働いていた会社も一気に傾いた。
「それで仕方なく、菓子屋を継ぐことにしたんです」
父が作っていたお菓子をほとんど食べた記憶のない長男は、『はやかわ菓子店』の2代目となった。
先代の頃は、朝8時から夜7時まで店を開けていた。「しばらくは、そのままやっていましたが、もう大変で。少し前から朝は8時半、夜は6時までにさせてもらっています」と妻のゆかりさん。
クレープがなければ、潰れていた
純一さんが『はやかわ菓子店』に入ったのは、30代半ば。
社会人としての経験はあれど、菓子作りは素人。父が師匠となった。ただ親子の絆で手取り足取り教えてもらい技術を受け継いでいった、とはいかなかった。
「無口な上に、元々見て盗めみたいな時代に修行した人だったから、息子にどう教えていいか、わからなかったんだと思います」
聞けば教えてもらえたが、それも最小限。基本的には、息子の純一さんも、父の作る姿を見ながら、お菓子作りを覚えていくしかなかった。
「だから私は引き出しが少ないんです。その時に店に並んでいたものしか作れません。親父は細工菓子なんかも得意でしたけど、そういう技術も受け継いでいないんですよね」
『はやかわ菓子店』の包装紙。豪雪地帯の三条市らしく、どこか雪の結晶を思わせるレトロなデザインがチャーミング。
それでもやるしかない。
世の中は、リーマンショック以降、長い長い不況に陥っていた。町のちいさな菓子屋とて、その影響はちいさくはなかった。
冠婚葬祭向けの菓子折りを請け負い、生き残りをはかるお店もあった。大口の取引先に一度入り込めば、その後もある程度の注文を見込める。
ただそのためには、人を雇い、大型の機械を導入し、大量生産できる体制を整えなければならなかった。
住宅街で、ひっそりと菓子屋を営むお店では、先の見えない不況の中で多額の借金をしてまで勝負をかけるリスクは負えない。
ならば、これまで通り地元のお客様を大切にしながら、父から続く手作りのお菓子を丁寧に作り続けていくしかない。
長い不況のトンネルの中で、『はやかわ菓子店』を支えてくれたのは、クレープだった。
「クレープがなければ、うちの店は潰れていましたね」
純一さん夫妻は父からお店を受け継ぐと、クレープにも少しずつ改良を重ねていった。