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岐阜県 高山市

飛騨高山でよみがえる、50年前のお菓子の記憶。 (2/2)

クーベルチ フランス菓子 リヨン

聞き手 小林みちたか

写真 梅原渉

『クーベルチ』のレシピはシンプルだが、仕込み方を知らなければ決してつくりだせない味だという。

行き詰まる夫、救いたい妻

『リヨン』が3店舗目だった町には現在、洋菓子を出すお店は優に20店舗はあるだろう。

「激戦も激戦」と山田さんが嘆くように、若い店主も増え、おしゃれなインテリアのお店も増えた。時代を先取るような斬新な洋菓子もたくさん店頭に並ぶ。

「新しい人たちのレシピはそれはもう複雑で、僕らのとは全然違っていました」

さらにスターパティシエが誕生し、メディアでも活躍しだすと、その傾向は一層強まっていった。

「いろいろとマリアージュしていくスタイルになっていったんです。生地を複雑化したり、2種類、3種類のムースを使ってみたり。そんな都会的な菓子が増えていきました」

新しい店がどんどんできる。売上はどんどん落ちる。時代についていかなければならないと山田さんは焦った。

「お店が終わってから厨房にこもって、研究しました。でも、若い人たちのようにはできんのですよ。苦しかったですね。何とかしなきゃってプレッシャーが」

思い詰める山田さんを救ったのは、妻の千鶴子さんだった。

「お客さんとして『リヨン』に通っていた頃の味が懐かしいなっていう思いがずっとあったんです。娘たちも食べれば美味しいっていうから、若い子らにも新鮮なんやなって。それで、当時のあの頃の味でもいいんじゃないのって言ったんです」

それは、お店のことよりも「このままだと夫の体が心配だった」という思いから出た言葉だった。

「言われて、そうだなって。無理して、流行を追い求めて、焦って、苦しいばっかりでした。結果も出ないし。それなら、もう少し気を楽にして、原点に帰る。そういうことも大事じゃないかなと思い直したんです」

立ち止まり、必死に追い求めていた”都会的な流行”を冷静に見つめ直してみた。

創業当時はショートケーキ、チーズケーキ、モンブランがよく売れた。焼き菓子は『クーベルチ』も入れて3種類だけだった。

「そもそも流行の菓子を僕たちはあまり美味しいと思えなかったんです。何種類もいろんな味が入ってて、複雑すぎて、何の味なんだろうって。今はそれが流行っていて、売れてるんだろうけど」

しかも手のかかることばかり。材料も多い。当然、コストもかかる。

「昔の味はもっとシンプルでした。アプリコットならアプリコットだと、食べてすぐ分かる味。それが僕たちの修行の原点でした」

その味は、『リヨン』のお客さんだった妻の千鶴子さんが求める味でもあった。

「私たちの世代にとっては懐かしい味。 そういうわかりやすいお菓子もいいんじゃないかって。それに若い子と一緒のことをしようと思っても無理なんですよ。やっぱり勝てるもんではないんですよね」

あなたはあなたの良さを出せばいい。

そんな妻の思いが山田さんにも伝わった。

「昔ながらのシンプルな味を、とにかく買いやすい値段でお出しする。それが僕たちのやれること。それをやっていきたいと思ったんです」

味や値段だけではない。他店ではデコレーションは前日までに予約が必要だが、『リヨン』では当日でも対応可能。技術と経験なら若い人にも負けない。そんな強みも活かしている。

もちろん、すぐに売上が伸びるほど簡単な世界ではない。ただ、山田さんは笑う。

「肩の荷をちょっと下ろしてやりはじめたら、変な欲は消えていきましたね」

『クーベルチ』は1度に100個ほどつくる。パッケージまで1個1個手作業なので、それが限界という。

50年間、記憶に残る味

最近は政府のインバウンド政策もあって、観光地の高山には、たくさんの外国人が訪れる。

『リヨン』でも、そんな旅行者に対応するため、クレジットやキャッシュレス決済のシステムを入れた。評判も上々。

「フランス人も認める美味しいフランス菓子!」なんて口コミもある。

「外国の方にも喜んでもらえるのはありがたいですよ」と山田さんは優しく笑う。

先日は、ある韓国人の女性がやってきた。前に日本に来た時に『リヨン』で食べたサブレパリジャンというクッキーがとても美味しかったからとリピートしてくれたのだ。

そのクッキーも山田さんが修行時代に学んだ菓子。

昔ながらのシンプルな味わいは、流行のスタイルではないかもしれないが、異国の人がリピートするほどの魅力があるのだ。

そして『クーベルチ』こそが、そんな『リヨン』の原点の象徴のような存在だ。

「この間来たお客さんが「私、神奈川の人間なんですけど、同じものを昔食べたんです」って。驚きましたね。実はパティシエが神奈川で修業してたんですって話をしたんですよ」

味の記憶が50年くらいも消えずに残っていることがまず驚きであり、50年振りに食べた途端に記憶がよみがえるくらい味が変わっていないことにも驚く。

もちろん、そのお客さんの好みの味だったのだろうが、そんな奇跡のような偶然が起こるのも『クーベルチ』のシンプルさゆえなのかもしれない。

修行先では違う商品名だった『クーベルチ』。名前以外はすべてを受け継いでいる。

味も形も手包みの銀紙も、そこにシールを貼っているのもずっと同じ。

「亡くなった修行先の社長から、こいつはよく売れたお菓子だからできる限り続けてくれよって常々言われていたんです。その思いを、学んできたことを、できるだけ繋いでいきたいんですよね」

山田さんは、最初から洋菓子作りを職業に選んだわけではない。でも、40年以上もやってきた。

「儲かる仕事なら最高に幸せかもしれないんですけど」と笑いつつ、「時間を忘れるくらい作ることが苦じゃないんです。お客さんが美味しいって言ってくれる。喜んでいただける。それが最高なんです」という。

山田さんが作り上げた『クーベルチ』を銀紙で包むのは、妻の千鶴子さんの役目。その手際のよさは、山田さんをして「こればかりは敵いませんね」と舌を巻くほど。

そんな妻の千鶴子さんは、元は『リヨン』の大ファンだった。

「ここに買いに来てる頃はただ美味しいなってぐらいの気持ちでした。嫁いできてもしばらくは、今日はあれ食べよ、なんて呑気にやっていました。でも30年一緒にやってきて、表に出てるキレイな商品になるまでには、すごくいろんな苦労があることが身に染みてわかりました」

妻の千鶴子さんは「すごくいろんな苦労がある」と繰り返した後、「でも」と続ける。

「今も子供たちにはケーキ屋さんは1番人気のある職業だったりします。やっぱりキレイな夢を売る仕事なのかなって思いますね」

夫婦でいくつもの困難を乗り越えてきた。

「とにかく頑張れるとこまで頑張っていこう」と夫婦2人力を合わせて、今日も『リヨン』の味を作り続ける。

「楽しいんですよ、今、仕事が」と山田さんは大きく笑った。