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福島県 白河市

今なら不可能? 名前もレシピも謎だらけの魅惑のケーキ (2/2)

カルソー 御菓子司 えんどう

聞き手 小林みちたか

写真 梅原渉

金色の包装紙に包まれた「カルソー」。「今なら折り紙くらいでしか見かけない見事な金色でしょ」と遠藤さんは笑う。

8メートルのトンネル釜

「親父の大英断は、トンネル釜を入れたことですね」と遠藤さん。『えんどう』の広い工場の中央には、長さ8メートルという巨大なトンネル釜がデンと鎮座している。

この釜で焼かれるのが、卓男さんが開発したヒット商品「白河の月」だ。

前の店舗時代に「白河の月」が大当たりし、移転に際して、生産量を増やすためオーブンを2つ買い増すならとトンネル釜を導入したのだ。

ベルトコンベアーで大量に焼き上げるトンネル釜のおかげで手差しオーブンの何倍もの作業効率を実現した。

遠藤さん曰く「大量に作るブッセの中では、どこにも負けないくらい美味しい」と大量生産しても味の方は一級品を保っている。

長さ8メートルという巨大なトンネル釜。この巨大な釜を中心に、さまざまな機械と連携することで大量生産を実現している。

この生産のオートメーション化をさらに推進していったのが、現店主の遠藤さんだ。

大規模なお菓子屋で修行をした遠藤さんは、「機械化の重要性」も学んだという。

「帰ってきた当時の店は機械化が進んでいませんでした。この先、店の規模を保つことを考えたら手作りだけではとても間に合わないと思いましたね」

そこで、これは機械、これは手作り、と作業を区分けしていった。もちろんトンネル釜もさまざまな商品に活かせるよう、そこにつながるデポジッターなどさらなる機械を導入。機械化と手作りを融合することで、1日何百、何千という生産力を可能にしていった。

ただ、当然どうしても機械では作れないお菓子もある。

その代表格が、あの謎多き欧風銘菓カルソーだった。

スポンジ全体をホワイトチョコレートでコーティング。カルソーは手づくりなので、作り始めるとかかりっきりになってしまう。

今なら不可能?な謎の菓子・カルソー

「開発したのは創業者の政ノ助さんだと思いますが、それがいつなのかはわかりません。60年前にはすでにあったのは確かなのですが」

カルソーという名前の由来も、

「カルーソーという有名なオペラ歌手がいたようですが、それなのか……謎です」とお手上げだ。

カステラをホワイトチョコレートでつつんだようなお菓子で、「レシピ的には今の焼き菓子に近い」が「ありえない」ほどの悪魔的配合だという。

まずバターの量が半端ではない。しかもフレッシュバター。

「そこにアーモンドプードルをこれでもかと入れています。さらにクルミもアーモンドも入れて。私の知るスタンダードなレシピでは、ありえません」と遠藤さんもあきれるほど。

しかも、当時の価格からすると「おそらく利益はなし。つまり今なら潰れてしまうような贅沢な配合なんです」という。

当時は和菓子が中心で、洋菓子を増やした卓男さんもまだ店にはいない。

「ひょっとすると政ノ助さんにとって初めての洋菓子だったのかもしれません。だから、こんな大胆なレシピでやれたんじゃないかなと。それくらいすごいレシピですから」

ある意味で記念の菓子だったのだろうか。ゆえにパッケージもめでたいピカピカの金色。

そんな記念菓子が美味しい、美味しいといわれてしまえば、職人としてわざわざまずくすることはできないだろう。

そして消えることなく60年。

創業者である政ノ助さんの洋菓子で今も残っているのは、このカルソーだけなのだ。

「毎回ありえないなーと思いながら作ってますよ」と遠藤さんは笑う。

作り手なら誰ものが羨むような贅沢な材料を使った手作りの洋菓子カルソー。ある意味では作ることよりも、商売として60年以上も作り続けることの方が難しいだろう。

『えんどう』では月に1回程度、「カルソーの日」というものがあるそうだ。

カステラを焼き、切り、冷やし、ホワイトチョコでコーティングし、袋に詰める。その工程に2日がかる。すべて手作業。

「1回で500個ぐらいが生産の限界」だが、「一気に1000個、1500個という注文が入ることもある」という。

「お葬式で配りたいと頼まれることもあります。パッケージは金色ですよ、夏場なら溶けちゃいますよとお伝えしても、「故人が大好きだったので」とお願いされると断れないですよね」

結婚式なら前もって予定はわかるが、お葬式となるとそうもいかない。でも、せっかくの気持ちには応えたい。まさに嬉しい悲鳴だ。

そんな熱狂的なファンを持つカルソーを生み出した政ノ助さんの悪口を遠藤さんは聞いたことがないという。

「いろんな集まりに顔を出しても、すごい人だった、すごく誠実な人だったって話しか聞かないんですよ。だから、本当にすごい人だったんだなって」

そんな政ノ助さんの実直さが、このカルソーの贅沢な作りを生み出したのかもしれない。

ピカピカの包装紙は昔から変わらずセロハンテープで止めている。「今ならありえないですよね」と遠藤さんは笑う。

過去と現代の融合

1世紀にもなる「えんどう」の歴史を背負う遠藤さんがいま積極的に取り組んでいるのは、地元白河の資源を最大限活かした6次産業化。

「地方にいけば、みんな「ここには美味しいものがたくさんある」っていいますよね。だから、そこで終わらせずに、美味しいものとコラボしてみようと」

その一つが白河で二百年続く根田醤油さんの「二年もろみ醤油」を使った「醤油パイ」。

丸みを帯びた塩味で、まろやかな甘味のある味わいをサックリ香ばしいパイ生地に合わせた。

根田さんのデザインをお借りして作ったパッケージを味噌1kgサイズに合わせることで、醤油とセットで売ることもできるという。

「醤油は単体での味見が難しいですよね。でも醤油パイがあれば、物産展なんかで「うちの醤油を使っているんです」と配りやすいし、面白いねって客寄せにもなったりする。もちろんうちの宣伝にもなる。お互いウィンウィンの商品になっています」

お互いの得意を活かしながら、足りないところを補っていく。それが1番いいと遠藤さんはいう。

福島県といえばフルーツのイメージも強い。「たとえば、うちでもジャムは作れます。でもフルーツ屋さんが作ったジャムにはやっぱり敵わないですよね」と遠藤さん。

フルーツ屋さんの作ったジャムの入った焼き菓子。そんな地元のコラボ商品がこれからもっと増えていくかもしれない。

5代目の長男の晟永さん。昔から料理が好きだったそうで、お菓子作りも「センスはあると思う」と父の遠藤さん。やはりスポーツ万能で学生時代はバスケットをしていたという。

来年の2026年には、創業100年を迎える。

「お菓子の世界は、定期的に大ヒットが生まれます。もちろんそういったトレンドはしっかりキャッチしないといけません。その一方で、古いものも求められている気もするんです」

そこで昔のレシピを引っ張り出してきて、リニューアルさせようかと考えているという。

その一つが、現在は生産を休止している創業菓子「一口まんぢう」の復活だ。

「上からあんこの見える形状が特徴で、もちろん小さい。その辺りの再現が難しくて、それを作れる職人さんももういません。残っているのはレシピだけ。でもなんとか来年の創業100年には間に合いそうです」

昔のレシピの材料を、白河の材料に置き換えて何かできないかとも考えているという。

「最近は酒造りに使う麹を粉末にする技術が開発され、砂糖の代わりに使えるようになりました。白河は酒造りが盛んですから、白河の麹を使った菓子作りも模索しています」

それは自然の甘みの大切さを掲げる『えんどう』の理念そのものだ。時代が進んだからこそ実現できるコラボ。過去と現代を掛け合わせて生みだす未来。

「そんな取り組みを5代目の息子と一緒にできたら、楽しいなと思っています」