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滋賀県 蒲生郡 日野町

絶品のスポンジで目指す、日野のソウルフード。 (2/2)

マドモアゼル 洋菓子の店 不二屋

聞き手 小林みちたか

写真 梅原渉

バウムクーヘンを平たくしたような「マドモアゼル」は、先代の貞夫さんの修行先の神戸、留学したスイスやそこで学んだドイツ菓子の経験を注ぎ込んで生まれた。

言葉では伝えられない事

日野に戻ってきた真介さんは専門学校に通ったりすることもなく、『不二屋』で働き始めた。昔の丁稚奉公のような叩き上げのキャリアは今時では相当珍しい。

「なんでも自分なりにアレンジする人だった」とたき子さんがいう貞夫さんの性格もあったのだろう。

息子の真介さんが「聞けば何度でも丁寧に教えてくれた」という。

ただ、そんな師弟関係も長くは続かなかった。貞夫さんは病魔に襲われてしまう。

「肺がんでした。わかった時には、すでにかなり進行していて。覚悟しました」

そう語るたき子さんはどれほどの悲しみや戸惑いを抱えたことだろう。

そして2019年5月、貞夫さんは69歳の生涯を終えた。その7ヶ月前までお店でケーキを作り続けていたそうだ。

先代の森田貞夫さん。ケーキ屋に生まれ、亡くなる直前までケーキを作りつづけた人生だった。

息子の真介さんもやりきれなかったはずだ。

「主に父が焼いて、私が仕上げの切ったり塗ったりという分担の中で、少しずつレシピを教えてもらっていました。なので、真髄まではしっかりと学べませんでした」

その真髄とは、「なかなか口では説明できない部分」だったという。

たとえば、スポンジを作るにしても成分の割合は聞けば分かるが、混ぜ方一つで仕上がりは大きく変わる。そのやり方は感覚的な領域で言葉ではなかなか伝わりにくい。

ただ真介さんには、子供の頃から貞夫さんがケーキを作る姿が目に焼き付いていた。

「不思議なもんで、混ぜる手つきとかも、こうやってたなというのがイメージできるんです。だから1聞けば10わかる。見といてよかったなと思いましたね」

たき子さんが「親の目も届くから」と店に連れてきていたことが、かけがえのない記憶として残ってくれるとは亡き夫の貞夫さんも思っていなかっただろう。

貞夫さんのレシピの特徴は、いわゆる神戸系でスポンジと生クリームが中心。 そこにドイツ系のスイスのリッチモンド製菓学校で学んだフレーバーや考え方が入り、さらにそれを日野の町に合うよう昔ながらの下町のケーキ屋さんらしい味にアレンジしているという。

妻のたき子さんも息子の真介さんも、その味を大きく変えるつもりはない。

「新商品もありますが、基本的には味もメイン商品のラインナップも、値段だって変えたくないんです」ときっぱりと語る。

貞夫さんのケーキ作りは、しっかりと受け継がれている。

息子の真介さんにとって「職人の父の姿しか知らない」というほど忙しかった貞夫さんだが、今はその姿に助けられているという。

偶然から生まれた『不二屋』のスポンジ

『不二屋』といえば、修行にきた職人さんも驚くくらい昔も今もスポンジの美味しさに定評がある。

その昔ながらの『不二屋』のスポンジをそのまま食べてもらうようなケーキを作っていく。それがたき子さんたちの思いだ。

『不二屋』のスポンジは、貞夫さんが30年かけて作り上げた味だ。
ただ、今の味にたどり着くまでには、ちょっとした秘話がある。

「母から聞いてないですか」と真介さんが笑いながら教えてくれた。

「実は、母がロールの生地とスポンジの生地の配合を計り間違えてしまって。でも、入るはずのなかったものが入ってしまったら、意外にもおいしくて。それが採用され、不二屋のスポンジになったんです」

50年受け継がれる『不二屋』の絶品スポンジが偶然の産物とは驚きだ。ゆえに誰も真似できないオリジナルの美味しさになったのだろう。

お菓子作りには偶然が入り込む余地がある。だからこそ、変わらぬ味を作りつづけることは、ゼロから生み出すことと同じように難しいのだ。

それに貞夫さんから店を引き継いだたき子さんのエッセンスも入っていると思うと、これほど『不二屋』を支えるにふさわしいスポンジはない。

そして、そのスポンジは今も変わる事なく、地元の人たちに支持され続けている。県外から帰ってきた真介さんが驚いた「昔のまんま」の凄さだ。

夫の貞夫さんが亡くなって5年。息子の真介さんがパティシエとなって15年超。

「帰ってきてくれて、本当にありがたいです」とたき子さんはいう。

その月日が「店もお菓子もダサいと思っていた」という真介さんを変えたのかもしれない。

「父は時代に流されず、変えないことに誇りを持ってたんだなって。自分がおいしいと思ったものを作りさえすれば、お客さんは来るって信じてたんだと思います」

だから、と真介さんは続ける。

「自分自身が誇りを持って一生懸命やったものであれば、別に変える必要もないんだと思うようになりました」

「マドモアゼル」のレトロなパッケージも、先代の貞夫さんの頃と同じ「昔のまんま」。

日野のソウルフード

50年前から『不二屋』で作り続けられているマドモアゼル。息子の真介さんはオーブンを覗くたびに、「父はどうやってたっけ?」と必ず貞夫さんのことを思い浮かべるそうだ。

言葉を交わすわけではないが、仕事をしてる間は常に頭の片隅に父の姿がある。だから寂しくはない。それはきっと母のたき子さんも同じではないかという。

「母がまだ仕事を続けているのも、ここでケーキを作っていれば、父のことを感じられるからじゃないかなって思うんです。父も母も、本当に身を粉にしてケーキに捧げてきましたから」

「お菓子に向き合っている時がいちばん楽しい」という息子の真介さん。職人の血はしっかりと受け継がれている。

苦楽を共にしてきた夫婦には、特別な思いがあるだろう。

「実は」と、たき子さんがこの三角屋根のお店を作った頃のことを教えてくれた。

「移転前は売上も下火になってきていたんです。バブルも弾けて景気も悪くなってきていましたし。美味しい洋菓子だって珍しくもなくなっていましたから」

そんな中での移転はかなりのリスクもあったはず。

「だから移転後はショーケースも小さめにしたんです。でも、可愛いお店ができたとお客さんがたくさんきてくれて、もう行列ができるほど。嬉しかったですね。すぐにショーケースも大きくしたんです。でも、結局は味だったんだと思います」

いくらお店が魅力的だとしても、それだけで売れ続けるほど甘い世界ではない。『不二屋』の味こそが支持された結果だ。

「それと」とたき子さんは続ける。

「急にデコレーションを頼まれても、「すぐにできるからちょっと待ってて」と応える夫の人柄が日野の人たちに受け入れられていたのかなって思います。夫の葬儀にはそれはたくさんの人たちがきてくださいましたから。本当に顔の広い人でした」

子供の頃に『不二屋』のケーキを食べていた人たちが、今もお盆や正月に日野に帰ってきては、「昔と変わらない」「やっぱりおいしい」と喜んで食べてくれる。家族の記念日を『不二屋』のケーキを食べて過ごしてくれる。

だから、今の子供たちが大人になっても食べてもらえるように。

いつでも、いつまでも変わらない『不二屋』のケーキ。そんな日野のソウルフードのような存在でありたい。

それが『不二屋』を受け継ぐ、たき子さんと真介さんの想いだ。