滋賀県 高島市
琵琶湖で100余年。消えかかる秘伝の手作りせんべい。 (2/2)
藤樹せんべい 大阪屋
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉
焼き立ての「藤樹せんべい」。焼印をつけた方を裏にして少し冷ます。美味しそうな甘い香りが漂う。
秘伝の製法が通用しない
残された慶三さんの奥様が『藤樹せんべい』を作ることになった。
いくら長年間近で見ていたとはいえ、そう簡単にできることではない。せんべいは焼き上げるまでは機械が行うが、仕込みと焼印作業は人の手で行う。
高齢の身には、とても無理だった。
すぐに娘さんが引き取った。
娘さん夫婦は隣町で、手作りお菓子とパンのお店を20年以上営んでいた。そのお店に機械を運び入れ、今はそこで「藤樹せんべい」を焼いて、『大阪屋』まで運んでいる。
「藤樹せんべい」の焼印。思いの外、先生が小さい理由は不明。「先生をバリバリ食べるのは気が引けたのでは」と娘さんは笑う。
「藤樹せんべい」を焼き上げる機械は、直径2メートルはあろうかという大きさ。上下2枚の丸い鉄板で生地をはさんで焼き上げる。
「この機械が古いんですわ。あちこち故障してて。直せるかといっても、もう部品もないんです」と嘆く娘さん。
本来、鉄板に生地を流し込み、せんべいを焼き上げるまでは自動で機械がやってくれる。
しかし、今は鉄板へと流す生地の量が安定せず、生地にムラが出てしまう。
さらに生地を焼くためのガスの炎も安定せず、焼き上がりにもムラが出てしまう。
だから、常に生地の量や炎の強さを調整しなければならない。作っている間は片時も目が離せないのだ。
生地を流し込む装置も故障がち。部品がないため、1個取り替えるだけでも数万円かかるという。
3代目の慶三さんから引き継いで10年。
最初の頃は事情を知った『大阪屋』の昔馴染みのお客さんが販路拡大に協力してくれ、道の駅やホテルなど観光客の集まるところに商品を置いてもらえ、かなり売り上げていた時期もあった。
しかしそんな時代も長くは続かず、コロナ禍を境に販路は激減していった。
少しずつ機械は衰え、最近ではなかなか納得のいく仕上がりにならず、「半分くらいはロスになってしまう」という。
機械の老朽化の影響か、100年以上受け継がれてきた秘伝の製法では通用しなくなってきている。
「秘伝といっても、単に保存料なんかを使わない昔ながらのやり方なだけなんですよ。それが今の時代には珍しいんでしょうけどね。でも、それも焼き上げると水分が多すぎたり、少なすぎたりとムラが出るようになってきて」
成分の割合をいろいろ変えてみたり、小麦粉メーカーを呼んで相談もしたが、安定した製法は確立できていない。
仕込みも同様だ。
「昔は前日に仕込みをして、一晩寝かしてなじませてから焼いていました。でもそのやり方だと夏場は粘りが出過ぎてしまったり、逆に冬場は冷えすぎて生地が伸びなかったりで。特に季節の変わり目が一番難しいですね」と娘さんの顔は苦くなる。
梅雨の湿度の高い時期は機械で焼き上げた後にオーブンで軽く5分ほど焼かないと水分が多すぎてしまうという。
仕込みを前日から当日に変え、試行錯誤を繰り返しながら、なんとか対応しているのが現状だ。
洋菓子職人の旦那さんも頭を悩ませる。
「ほんまにせんべいは難しい。ほんまに参りました。甘くみすぎていました」
機械屋さんに「よく動いてますね」と感心されたという。使いにくくとも、「まだ動くから」と娘さんは焼き続ける。
倒れても、つづける理由
年季の入ったこの機械は、20秒に1枚くらいのペースで丸いせんべいを焼き上げていく。そこに手作業で藤樹先生の焼き印をつけていく。その合間に、生地の量を調整したり、消えてしまった火を付け直したり、火力を調整したり。
作り出したら1時間、機械の前から離れることはできない。目の前では炎がせんべいを焼き続けている。夏場になれば、もう50度、60度の世界。
「倒れたこと? ありますよ。熱中症」と娘さんは笑う。とても高齢のお母さんができる仕事ではないし、娘さん夫婦にしても同様だ。
部品がないほど古い機械の寿命と娘さん夫婦の体力の限界、どちらが先にくるかわからないほどきつい仕事だ。
騙し騙し動かし続ける機械を前に、『大阪屋』はもう130年、十分なのではないかと思ってしまう。
だが、やめられない理由を娘さんが教えてくれた。
「母がね。残してほしいって言うたんですわ」
「藤樹せんべい」がなくなれば、先生の教えを伝えるものが一つなくなってしまう。「それも世の流れです」とお母様は語る。
3代目の慶三さんは「藤樹せんべい」の生みの親である創業者の留吉さんに幼少の頃、大変可愛がられていたそうだ。藤樹先生の教えもみっちり聞かされていたかもしれない。だから、人一倍「藤樹せんべい」への想いが強かった。
お店を改築した際、「藤樹せんべい」が『大阪屋』の看板商品であることを宣言するように、留吉さんが作った藤樹先生の銅像を店先に移動させた。
店内には今も「致良知」をはじめとした藤樹先生の教えが掲げられたまま残っている。
「母はそんな父の想いを知っていますから。そんな母から残してほしいと言われちゃうと、やめられないですよね」と娘さん。
ただ、この先ずっと続けられるかと言えば、別の話だ。
少し前、関西で創業100年をこえる老舗の瓦せんべい屋さんが廃業した。
「部品もない。直すにも直せない。たぶん昭和のスタイルで、昭和の機械でやっているとこはどこもおんなじやと思いますよ」
新しい機械を買えば作業は楽になるだろうが、「もっと若けりゃ借金してってできるけど、それもね」と還暦間近の旦那さんが危惧するように、負担を次の世代に残すことになりかねない。
「やっぱりそんな楽な仕事ではないです。だから、子供たちにもさせてないですしね。そりゃできるなら残したいですけどね……」という娘さんの言葉は、日本中の悩める老舗が抱える現実だ。
「道の駅で藤樹せいべいを買った人が、ここで作っているんですかってわざわざ探してきはったりするんですよ。美味しい言うて、求めてきはる人もいる。やっぱり美味しかったんやな、明治28年からの歴史は大きいなっていうのを感じますよね。だからほんまに苦しいですね」と旦那さんも悔しい胸の内を吐露する。
「昔は今の4倍の量を作っていました。それが半分になり、いまはさらに半分。週1日、1時間ちょっとで 200枚。それが今の私たちの限界です。でもね、続けられるうちは、やめません。それがせめてもの想いです」
娘さんは汗を拭いながら、そう言った。
すべてのものに永遠はない。あらゆる物事には終わりがくる。だからこそ価値がある。
これが最後になるかもしれない。
そう思いながら味わう。それこそが最高の贅沢なのかもしれない。
近江名物「藤樹せんべい」。
今は名物に「マヅイ」ものなし