【第 2 回】

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群馬県 太田市 スバル最中 伊勢屋

こだわりのあんこが詰まった伝説の名車菓子。 (2/2)

聞き手 小林みちたか

写真 梅原渉

背筋をピンと伸ばして「伊勢屋」の歴史を語る3代目の岡田さん。その誠実な人柄がスバリストたちに支持されたのだろう。

伊勢屋を潰すわけにはいかない

旧知のスバリストの1人がSNSでつぶやいた。

「伊勢屋さんが大変らしい」

そのつぶやきに、全国のスバリストたちが共鳴した。

「伊勢屋さんを潰すわけにはいかない」

全国からスバリストたちが駆けつけてくれた。来られないスバリストも「通販で送ってください」と協力してくれた。

そんなスバリストたちの想いが連なり、『伊勢屋』はなんとか窮地を脱することができた。

きっかけとなったスバリストは、数年前にふらりと「スバル最中」を買いに来たお客様だった。その時に店の空きスペースにスバルのグッズを置かせてくれないかと頼んできて、以来、不定期でやってきては、新しいグッズを置いていく。いつしか『伊勢屋』の一角は、そのスバリストの方の専用ブースのようになっているという。

「伊勢屋」の店内には、ミニカーやペナント、世界ラリー選手権の記念品などなど数多くのスバルグッズが飾られている。

「スバルさんとの縁から広がったお客様たちには本当に感謝です。あらためて、たくさんの人たちに助けてもらって今の私たちがあると感じました」と岡田さんは感謝する。

だからこそ、心あるスバリストたちのためにも「これからもスバルとの関係は継続していくつもりです」という。

「スバル最中」「THEスバル」に続いて、3代目の岡田さんが新作を考案している。あるスバリストからスバル360のリバイバルを熱望されて作ったのが、白あんの入った焼き菓子「サブロク焼き」だ。そのてんとう虫のフォルムが「可愛い!」と買っていく女性も多いという。

さらに、スバル菓子の第4弾として、サイクルの速いモデルチェンジに対応するために新しい8車種がランダムに表面に印刷された「六連星(ムツラ)サブレ」も作った。

1代目から伝わる「スバル最中」、2代目オリジナルの「THEスバル」、3代目オリジナルの「サブロク焼き」の3代のアイデアが詰まった3種類の商品が入った「スバルアラカルト」は、『伊勢屋』の人気商品だ。

初代からはじまり、2代目、3代目と代替わりする度に「スバル最中」はモデルチェンジしている。

伊勢屋が4代目となる頃には、また新たな「スバル最中」が生まれるかもしれない。

ただ、3代目の岡田さんは息子さんには一度も後継を強制することなく、好きなことをやれと言い続けてきた。店の手伝いも一切させなかったという。

そんな当の息子さんだが、その心はずっと前から決まっていた。

4代目の岡田健吾さん。父である3代目も知らぬ間に職人だった青木さんからレシピを受け継いだそうだ。

4代目へと受け継がれる職人気質

「店の中を通り抜けて学校に行っていましたから、お菓子屋がもう生活の一部でした。他の仕事を知らないし、他の仕事をやりたいと思ったこともありません」と語るのは4代目の健吾さん。

父の岡田さんは、息子には店の手伝いを一切させなかたっというが、息子の健吾さんは「小学生の時にはじめて手伝いをした記憶があります」という。それだけ4代目の健吾さんにとっては、特別な瞬間だったのだろう。

息子の思いを3代目の父が聞いたのは、大学卒業を控えた時だった。

今後どうするんだと尋ねると、「一緒にやりたい」といったという。

「こんな時代だから伊勢屋がいつまでできるかわかりません。自分の代で終わりかなと思ったこともありました」というから、驚きつつ嬉しさもあったことだろう。

そして、4代目も父たちと同じように埼玉の春日部市のお菓子屋さんで2年間修行し、『伊勢屋』で菓子作りに精を出す日々だ。

「金型屋さんもどんどん減っていて」と心配する4代目。新たな「スバル最中」は生まれるだろうか。

「職人としてはまだまだですが、自分よりも几帳面でしっかりしてますよ。それは職人としては大切なことです」と3代目の父は目を細める。

スバル最中の4代目にはまだ着手していないが、カスタードクリームのどら焼きは「あんこが苦手な方もいるので」という4代目のアイディアだ。

「市販のカスタードだと水分が多くて皮に吸われて嫌」だからと、4代目が前日からカスタードから仕込んで作るこだわりの一品だ。

「美味しかったから、とまたお店に買いに来てくれることが何よりも嬉しいです」と4代目はいう。

職人気質は脈々と受け継がれている。

営業車はもちろんスバル車のサンバー。「スバル生産の貴重な車体。傷だらけだけど部品が無くなるまで乗りますよ」

創業100年を目指して

2034年。あと10年で『伊勢屋』は創業100年を迎える。

「もともと伊勢屋は団子屋です。もし100年を迎えられたら、その日は団子1本10円で売るかなんて、息子と話していたんですよ」と岡田さんは笑う。

創業から90年経ち、『伊勢屋』を取り巻く環境は随分と変わった。

「初代の頃はこの辺で伊勢屋といえば和菓子屋として認知されていました。でも今はそうじゃありません。太田にもどんどん新しい世代の人たちが来ていますし、伊勢屋の名前もスバル最中も知らない人が増えていますから」

それでも広告はやらない。そのお金があるなら、やっぱりお客様に還元する。
「いいものを作れればそれでいいと思っています」と岡田さんはきっぱり言い切る。

朝生菓子からはじまった『伊勢屋』は、初代から続くお団子やお饅頭といった和菓子に加えて、ブライダルの仕事を手掛けていた頃の知見を生かしたブランデーケーキやフィナンシェといった洋菓子まである。

「今まで売れてたものでも売れなくなれば、スパッとやめる。時代も変わります。息子の提案も受け入れる。
若い人の柔軟性は必要ですしね。こだわらずにやりたいことはとりあえずやってみて、ダメだったらもう1回考えればいい」

お菓子作りに答えはない。だから「いつもこれでいいのかな」と試行錯誤の連続だという。

「青木さんと作り上げた味だって少しずつ変わっています。今も4代目の息子と毎日ビクビクしながら仕事していますよ」と岡田さんは笑う。

それでも結局は……

「自分が納得したものしか作りたくないんですよね。自身が美味しいと思えないものはやっぱり出せないですから。職人なんでしょう、経営が下手なんですよ」

例えば、最中のあんこを1日で作る和菓子屋は珍しくない。
だが、「スバル最中」のあんこは2日かけて作られる。

1日目は十勝産の小豆をじっくり煮て、砂糖の蜜を豆の芯深くまで染み込ませる。
2日目は十分火を入れて、蜜を取り出し、よく練っていく。

その工程を1日にすれば、生産効率は飛躍的に上がるのだが……

「それじゃあ同じ味を出せる自信がない。きっと伊勢屋の味を期待してくれるお客様にも満足していただけないだろうし。薄ぼんやりした味には絶対にしたくないんですよ。だからやっぱりあんこに2日かけるのが伊勢屋の最中なんです」

好みは人それぞれと前置きしつつ、「スバル最中」は中身のあんが皮と馴染んだ2日目が食べ頃でおすすめだそうだ。

そのお菓子らしい味をしっかり感じてもらう。それが『伊勢屋』3代目のこだわりだ。
「スバル最中」も一つ一つ手間暇かけて手作りすることで、甘さ控えめながら「これこそが最中だ」と感じられる味わい。

フォルムにも手抜きはない。「スバル最中」は、レガシィB4のボディのみならず、ヘッドライトやボンネット上のダクト、ドアミラー、ナンバープレート、エンブレムまで忠実に再現されている。

その味や形の完成度の高さがこだわりの強いスバリストたちに支持され、窮地を救ってくれるほどのファンを獲得しているのだ。

「まあ、うちは万屋ですから。こんなの作れますかって相談されたら、やれるもんならやってみますって感じですよ」

そう岡田さんは豪快に笑った。

大切なのは、最新の設備でも、最先端のトレンドでもない。
培ってきた知恵と技術で、ただただお客様の期待に応え続ける心意気。
決して満足せず、不安だから努力を怠らない。答えがわからないから変化を恐れない。

きっと創業100年を迎えた日も『伊勢屋』では、
「これでいいのかな」と職人たちが頭を捻りながらお菓子を作っているだろう。