東京都世田谷区
和菓子の名人から受け継ぐ、バター香るしあわせの焼き菓子 (2/2)
ハネムーン 東宮
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉
突然、30歳の見習いがやってきた。
「どうしても跡を継ぐ前提なので、先輩を差し置いて、叔父である先代から「これやってみろ」という具合に、作らせてもらったりもしました」
すでに『東宮』で働いていた若い職人たちの中には、面白く思わない人たちもいただろう。ならば、姿勢で見せるしかない。
昭憲さんは、朝1番に店に来て、年下の先輩たちに頭を下げ、教えを請いた。祖父の名に恥じない『東宮』の作り手にならなければいけない。常にそのプレッシャーを抱えながらの日々。
「一番きつかったのは、菓子博覧会への出品の時でしたね。1年以上かけて、砂糖で作る工芸菓子を作り上げました」
工芸菓子とは、白あん、砂糖、米粉などで作る観賞用の菓子のこと。江戸時代の献上菓子が起源といわれ、和菓子職人の技術の最高峰とされる。
商品とは異なる「遊びの世界」。時間もかかる上に、お金もかかる。しかし、和菓子作りの技術を絶やさず、次代へ伝えていく上では、欠くことのできない領域でもある。
「作り方は、秘密の世界です。先代から、自分だけに伝えられる。恥ずかしい結果は出せません。最後はもう徹夜の連続でした」
その甲斐あって、全国優勝。
朝から晩まで菓子作りに没頭した30代を経て、昭憲さんは2002年頃、3代目となった。
「工芸菓子は黒塗りのお盆に絵を描くように和菓子を配置していきます。それはイタリアン時代の色使いにも近いかもしれません。空間を大事にする感覚は、20代の頃の経験が活かされているかもしれませんね」と昭憲さん。
次の日には固くなる餅
先代の叔父も店を離れ、まさに店のトップとなると、さらにプレッシャーは大きくなった。
新しい菓子作りにも挑戦したいと思う反面、「昔からの味が好きというお客様も多いですから」と祖父の名を汚すようなことはできない。
一方で、昔ながらの製法は、日持ちがしない。
わらび餅も人気があるが故に、「お宅の餅は次の日、固いんだよ」と言われることもあるという。
添加物を入れなければ、固くはなるのは当たり前。しかし最近は日持ちする和菓子の方が多いから、日が経てば固くなることを知らない人も少なくない。
「食べていただければ、その違いはわかると思うんです」と昭憲さん。
どちらがいいかはお客様が決めること。
「デパートに出さないか、とよくお声がけをいただくのですが、日持ちの関係でお断りしています。『東宮』の味を守るためには、このやり方をさせていただくしかないので」
そんな昔ながらの製法にこだわる『東宮』の和菓子にあって、「ハネムーン」は画期的な製法から生まれた。
「創業の頃からずっとある欧風菓子です。ハネムーンだけを何個も購入される方もいらっしゃいますし、焼き菓子では、一番人気です」
今も使っている「ハネムーン」の木型。基本のレシピは変わっていないが、「甘味が重宝された創業当時は、甘さも強かった」そうで、時代に合わせて、少しずつアレンジを加えているという。
名人が残した画期的な焼き菓子
「祖父は、和菓子にバターを取り入れた先駆者だったんです。当時としては画期的な製法でした」
聞けば、あの北海道の超のつく有名菓子屋のバターを使った看板商品は、この『東宮』で試作されていたという。
そんなバターを和菓子に取り入れた祖父の秋美さんが生み出したのが、「ハネムーン」なのだ。
アルミ紙の包みを開けると、ほんのりバターのいい香りが漂う。お花のような形も可愛らしい。
一口いただくと、やわらかな生地が絶妙な歯応え。すぐにふわっとやさしい甘さが鼻に抜ける。コクがありながらも、後味はさっぱりとしている。
『東宮』の和菓子に共通する上品さをしっかりと味わえる。
どこか小さな幸せを感じられるやさしいお菓子。それが、「ハネムーン」と名付けられた所以なのかもしれない。
童謡「ちいさい秋みつけた」の作詞者などでも知られるサトウハチローさんは、こんな詩を詠んだ。
ハネムーンを唄う
部屋が明るくなる ハネムーン
青空が窓からのぞく ハネムーン
うれしさがこみあげる ハネムーン
どなたの瞳もかがやく ハネムーン
やさしくうなづく ハネムーン
静かにめしあがれ ハネムーン
——たった一つの ハネムーンが この家の空氣までも おいしくしています
この詩がしたためられた包装紙は、『東宮』のすべてのお菓子に使っていたという。それだけ祖父の秋美さんにとっても、「ハネムーン」は大切な存在だったのだろう。
以前は何百人単位で開かれていたお茶会も小規模になっている。最近は核家族化もあって、大量に買う方も減っている。時代は移りゆくが、「ハネムーン」は焼き菓子の1番人気であり続けている。
1人でも多くの人へ
十数年ぶりに千歳船橋にやってきた人は、誰もが街の変貌に驚く。そして、『東宮』にやってきて、「ここは変わってなくてよかった」と喜んでくれる。
その度に、昭憲さんは続けてきてよかったと思うという。
「ただ、この先はわかりません」
3人の娘さんはまだ10代だが、「ケーキ屋だったらよかったのに」とあまり継ぎ手には興味がないよう。
ひょっとしたら、「自分の代で終わりかもしれない」という覚悟は持っている。
「やっぱり和菓子は、ちょっと敷居が高いイメージがあるんです。店構えも老舗っぽい感じで入りにくいと言われるんですよね。これからは、そんなイメージを変えていきたいなと思っています」
確かに『東宮』の上生菓子は、食べるのが勿体無いと感じてしまうほど、美しく、繊細で、格式を感じられる。
お茶の先生方に高い評価を得ているように、ある意味で玄人受けする和菓子の代表格なのかもしれない。
でも、「和菓子も普通のおやつなんですよ」と昭憲さんはいう。
他のスイーツと同じように、クリスマスやバレンタインに合わせたお菓子を子どもたちが「可愛い!」なんて言いながら食べてくれる。そんな和菓子を作っていきたい。
「ハネムーン」には、そんな可能性を感じる。
お子さんでも、食べやすく、いい意味で和菓子らしくない和菓子。
「ハネムーンは、子どもが大好きなんですよってよく言われますね」
ひょっとしたら、祖父の秋美さんも、今の昭憲さんと同じような思いがあったのかもしれない。
格式のある美しい和菓子も大切。でも、子どもが気軽に食べられる和菓子だって必要だと。
現在、店先には昭憲さんの母と叔母が立つ。すでに高齢なので、作り手の昭憲さんも接客を行うことも。新作を思いつくと、『東宮』らしさを損なっていないか、叔母たちに相談するという。
そして、当時は画期的だったバターを使い、「ハネムーン」を作った。
自分が作ったものを食べてもらえる。そして「美味しかった!」「綺麗だった!」「また食べたい!」そんな声を直接聞くことができる。
「大袈裟かもしれませんが、人に喜ばれる仕事なのかなって思うんです。それがこの仕事をやってきた一番よかったことですね」
昭憲さんが大切にしているのは、1人でも多くの人に『東宮』の和菓子を食べていただきたいという想い。
それはきっと名人と言われた秋美さんも同じだったはずだ。
その想いは今も「ハネムーン」の中に息づいている。