北海道 深川市
ギザギザ三角の不思議な和菓子は、大正生まれの頑固なダンゴ。 (2/2)
ウロコダンゴ ウロコダンゴ本舗(高橋商事)
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉
大学を卒業して、即、家業を継いだ高橋さん。中学の頃から店を手伝っていたので、一通りの仕事も戸惑うことは少なかった。
4年後には、年商以上の借金をして、本店に隣接する工場を新設した。駅弁も「ウロコダンゴ」の売上も好調。仕出し弁当も手掛け始めた。
だが、時代は変化していく。
やがて交通手段の主役は、電車から車へと移っていった。
さらに、電車自体の変化もあった。
「電車が速くなったんです。昔は深川から札幌まで2時間かかっていました。それが1時間を切るようになりましたから」
電車が速くなったことで、窓が開かなくなった。
「これが駅弁屋さんには致命傷でした」
窓からお札を握って、お弁当を買っていた昔のスタイルができなくなってしまった。やがてホームでの立ち売りは廃止された。駅の利用者も減少。売上は、1990年頃をピークに下がっていった。
駅売りが大半だった「ウロコダンゴ」も、店舗販売中心にならざるを得なかった。
消費期限が3日間と短いことが課題だったが、包装などの改良を進め、形を崩さずに真空パックにできる機械を導入。賞味期限が15日間まで延び、高速道路の売店や札幌、旭川への出荷もできるようになった。
誕生したばかりの「ウロコダンゴ」はプレーンの白あんだけだった。昭和30年代後半に、小豆味が加わった。十勝産の小豆の練り餡を混ぜ合わせて作られる。
そんな中、2016年、高橋さんは、創業以来続けていた駅弁の販売をやめた。
「会社ができて、100年以上、お弁当をつくってきました。時代も変わっていく中で、そろそろ潮時かなと思いました」
周りからは、弁当の替わりに何かやった方がいいんじゃないか、売上を維持しないといけないのでは、といろいろ言われたという。
しかし高橋さんは、「ウロコダンゴ」一本に絞った。「生き残るため」の戦略だった。
小豆味に続き、昭和50年前半に、静岡県産の抹茶を使った抹茶味が加わった。「お茶が好きだったんです。それに和生菓子って、3種類が基本らしいですね」と高橋さん。
100年という通過点
「僕が店を継いだ当時は、駅の売り上げが9割以上でした。それが車社会になって、駅売が縮小していった。だから、徐々に駅から町にシフトしていきました。結婚式場の仕出しは大規模で、調理ロボットを導入したくらい繁盛しました」
そうやって、高橋さんは事業の中心をシフトしてきた。
コンビニが増え、どこでもお弁当が買える時代になった。お弁当を卸していたスーパーも店内製造が当たり前になった。
大規模な結婚式は減り、やがて式場自体が姿を消していった。
高橋さんには、そんな時代の変化が見えていたのだろう。だから、「みんなに言われますよ。あのとき、よくやめたねって」
新たに導入した真空機で、パッキングする高橋さん。変化を恐れない経営判断で、100年変わらない「ウロコダンゴ」を守ってきた。
時代が変わっても、やめなかった「ウロコダンゴ」が、ちょうど100周年を迎えた頃。
北海道で各地の名物を研究しているという人が、ふらりと店を訪れ、こう言った。
「高橋さん、変なこと考えてんじゃないですか?」
そしてこう続けた。
宣伝するのは構わない。けれど、「ウロコダンゴ」に手を加えたり、パッケージを変えたりすることは、絶対にダメだというのだ。
その研究者は、これまで50年、75年とつづく名物を変にいじって、潰れていった店を散々見たという。
「それでうちを心配して、わざわざ来てくれたそうです」
その方曰く、地域の名物が消えると、その地域自体がなくなる。それくらい影響力があるものなのだと力説した。
「100年はあくまでも通過点。深川のためにも、絶対に変えちゃダメですって、がっちり言われました」
仲間内で協力して、物産館を作ったりしながら衰退していく町を盛り上げる活動はしていたが、深川を背負っているつもりもなかった。
「ウロコダンゴ」に手を加えようなんて思いもさらさらなかった。
ただ、面識も何もない人から、何も変えてはダメだよと強く言われたことで、あらためて、曽祖父から受け継いできた「ウロコダンゴ」を続けていこうという思いは強くなった。
大正時代からパッケージは、緑とオレンジの2色のグラデーション。発売100年の記念の年には、このグラデーションを活かした全面カラー広告を新聞に掲載した。
普通こそが、一番
「ウロコダンゴ」は、発売から姿を変えることなく、112年を超えた。高橋さんも70歳を超えた。後を継ぐ人もいない。
「実はコロナ禍の頃、留萌線開通の記念でできた菓子だから、来年(2026年3月)の廃線を区切りにやめようかとも思っていたんです」
兄姉たちからも「100年もやったんだから、もういいだろう」と言われていた。
会社員なら定年し、余生を楽しむ年齢だ。家業に入って50年。もう十二分に役目は果たした。
でも、仕事を引退した同世代たちは、日々の張り合いがないのか、一気に元気がなくなっているように見える。
「それこそ借金した方がいいかなって。絶対返さなきゃって思えば、ボケている暇ないじゃないですか」と笑う。
1年で休みは、4日だけ。正月の1月1日と2日以外は、ボイラーの点検で高橋さんも立ち会うから実質2日しか休まない。高橋さんにとって、いまや「ウロコダンゴ」が、生きる活力なのだ。
最盛期には4万人近かった深川の人口も、今では2万人を切っている。それでも「ウロコダンゴ」の人気は根強い。平日でも1日120〜130箱(1箱9個入り)を製造し、完売する日もある。お盆などの帰省シーズンには、1日500〜600箱売れることもあるという。
『ウロコダンゴ本舗』の店内。最近は、「ウロコダンゴ」の風味をそのまま活かした羊羹も人気という。
100年以上も売れ続ける秘訣とは?
「名物に美味いものなしって言うでしょ」 と高橋さんはニヤッと笑い、「昔から美味しいもんって作ったらみんなにすぐに真似されるんですよ」と続ける。
昨今のスイーツ業界も、ブームが起きては、すぐに去っていく。みんなが同じような流行りの味に集中するからすぐに飽きられてしまう。
一方の「ウロコダンゴ」は形状や名前こそ超個性的だが、味自体は「美味しくないことはないと思う。いや、あえていえば普通」と高橋さんはいう。
でも、高橋さん曰くの「普通の味」こそが、いつも、いつまでも食べたいと思える味なのかもしれない。
大正時代に生まれた「ウロコダンゴ」。発案者の高橋さんの曽祖父は、よもや昭和、平成、そして令和と4つの時代にわたり、愛され続けられるとは思わなかっただろう。
大正生まれの姿を一途に頑固に守ってきた「ウロコダンゴ」。そのファンは全国各地にいる。ただ最近は本州へは積極的に売り出したいとは思わないという。
「食べたいなら北海道に来てって思っています」といい、最後にいたずらっぽくこう付け加えた。
「ま、ちんたら、ちんたらやりますよ」
どこまでも自然体な高橋さんだった。