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佐賀県 佐賀市

創業330年の結晶。すっと口に溶けていく”真実の愛”のケーキ (2/2)

マーガレット・ダ・マンド 北島

聞き手 小林みちたか

写真 梅原渉

満足のいくものができないと涙を流して悔しがり、出来がいいと、にっこりとこの上なく嬉しい顔をした。

そんな仕事へ没頭する大谷先生の姿勢は、『北島』の菓子職人たちの手本となっていた。

その一方で、自分たちでオリジナルのお菓子をつくることこそが、先生への何よりの恩返しになるとも考えたのだろう。

「先生が認めてくださるようなお菓子をつくろうという気持ちに満ちていたのではないでしょうか」と香月さんも推察する。

「花ぼうろ」は、「丸ぼうろ」には入っていない「バター」と「アーモンド粉」を使うことに挑戦した。

そこで、『北島』の職人たちは、「アーモンド粉を最大限に生かした焼き菓子はできないだろうか」と考えたという。

「ちょうどその頃、11代目である私の父が、東京でお花の焼き型を買い求めました。これほどの厚みのある立派な焼き型は、いまではなかなかありません。これを使ってお菓子をつくりたいと考えました」

それぞれの想いが重なり、少しずつ、「マーガレット・ダ・マンド」のイメージが出来上がっていった。

そして、もう一つ。欠かせない要素が加わる。

ヨーロッパで出会った最高級コニャックだ。

50年ほど前から使い続けている「マーガレット・ダ・マンド」の焼き型。新しい焼き型を試そうとしたこともあったそうだが、11代目が出会ったこの焼き型に変わるものはないという。

最高の香りに負けない生地

「父が良い食材を探し求めるために世界を巡ったのは、昭和40年代後半と聞いています」

日本は戦後復興を遂げ、経済成長の只中にあった。

そして、フランスで出会ったのが、コニャックの名門「ジャン・フィユー」だった。

創業1880年。父から子へと代々技術を受け継ぐコニャック地方唯一の家族経営のコニャックメーカー。

葡萄の栽培から蒸留、熟成、ボトリングまで一貫して手作りでおこなうコニャックの最高峰の蔵である。

「父は、そこで当主の方にお話を伺いながら、そのひと言ひと言に深く共感したそうです」

代々続く家族経営のものづくりへの想いが、『北島』を受け継ぐ自身の立場とも重なったのだろう。

「このコニャックを使って、お菓子をつくりたい」
帰国するなり、お父様は職人たちにそう伝えた。職人たちは驚きつつも、嬉しさもあったという。

「”丸ぼうろ”からはじまった生地づくりは、大谷先生によって、”花ぼうろ”へと進化しました。今こそ、自分たちで、最高級コニャックの芳醇な香りをしっかりと受け止められる生地をつくろう——そう皆が燃え上がったのではないかと思います」

11代目は、『北島』のシールやパッケージに「ジャン・フィユー」で見たお城をイラストにするほど、フランスで出会ったコニャックの名門に惚れ込んだという。

わずか12輪だけ咲く真実の花

「マーガレット・ダ・マンド」の作りは、非常にシンプル。

バターは、「花ぼうろ」で出会ったものを使っている。

「九州産の生乳を昔ながらの製法でつくるバターを使っています。これが真っ白といえるくらい白いんです」

コクがあり、濃厚でいて、口溶けがなめらか。まさに『北島』が求めるバターだ。

そして、何よりこだわったのが、アーモンド粉。

『北島』の職人たちは、アーモンド粉の特性を最大限に活かしたお菓子作りを目指した。

「当初は、小麦粉なしでつくろうと考えていたくらいでした。なので、小麦粉の分量は、本当に最小限。1年通して安定して生産するために必要な量だけです」

そしてできた生地を、分厚いマーガレットの焼き型に流し込み、じっくりと焼き上げる。

「丸ぼうろ」や「花ぼうろ」の焼き上げる時間は5分程度だが、「マーガレット・ダ・マンド」は約50分。

たっぷりのバターにアーモンド粉を混ぜた生地を、じっくり焼けば、理論上は、重い口当たりになるという。

出来立ての「マーガレット・ダ・マンド」。16枚の花びらが放射状に広がる可愛らしいお花の形に癒される。

だが、『北島』のお菓子のこだわりは「口溶けの良さ」。

「切っていただくとよくわかりますが、外はカリッとしていながらも、中はしっとりしています。」

その結果、

「”マーガレット・ダ・マンド”も、もちろん最後の口溶けの良さを大事にしています。重みはあるけれども、重すぎない。そう思っています」と香月さんは胸をはる。

「この焼き加減が、非常に難しい」という50分の焼き時間に辿り着くまで、長い長い道のりがあったことだろう。

焼き菓子の商品開発が特に時間がかかるといわれる所以だ。

バターやアーモンド粉の配合も同様。

果てしない試行錯誤の繰り返し。その裏には、商品にならなかった無数の試作品がある。

そして、昭和50年代に入り、ようやく「マーガレット・ダ・マンド」が完成した。

「生地作りから焼き上げまで2時間かけて、1度に12個しかつくれません。とても効率的とはいえません」

けれど、コスパ、タイパが重宝される時代だからこそ、手間暇を惜しまず、丁寧に時間をかけてつくるお菓子にこそ価値があるのだ。

元は銀色の焼き型だったが、50年間、「マーガレット・ダ・マンド」を焼き続けることでこの色合いになったという。

『北島』へ込められた思い

ここで、ふと疑問に思うのは、なぜ代々「香月」姓でありながら、屋号は『北島』なのか。

その秘密を香月さんが教えてくれた。

『北島』を創業した新五郎は、実は2代目。つまり、初代がいる。

「新五郎さんは、佐賀市の少し西にある小城藩の牛津で暮らしていました。田んぼがあり、天山という山があり、今も当時と変わらないような美しい田園風景が広がっています。そこから、お店をやるために、佐賀市へと出てきました」

つまり初代『北島』とされるのは、新五郎さんのお父様。農家をしていたその地の名が『喜多島』だった。

地図にも載っていない地元の人たちだけが呼んでいたような名だが、新五郎さんは、故郷の名から屋号を『喜多島』としたのだろう。

その文字がいつしか転じて『北島』となった。

直径20センチの「マーガレット・ダ・マンド」。食べやすいように花びら2枚分ずつを目安にカットすると、ハートの形になる。

いつの時代も変わらない。

「何かを一生懸命やろうと思えば、心の支えが必要です。それが新五郎さんにとっては、故郷の『喜多島』=『北島』だったのだと思います」

330年受け継がれてきた想い。苦難を乗り越え、挑戦を恐れず、ひとつずつ積み重ねられてきた歴史があってこそ、”今”がある。

『北島』にとって、「マーガレット・ダ・マンド」はどんな存在なのか。

そう訊ねると、香月さんは少し考えたあと、こう答えた。

「丸ぼうろ屋としての『北島』の技術の結晶ですね」

芳醇な香りと濃厚な味わい、それでいて、すっと口に溶けていく。

直径20センチの”真実の愛”のケーキは、今日も、どこかで咲いている。