千葉県 館山市
平和へのバトンを受け継ぐ、花の町のやさしいクッキー。 (2/2)
ロシアケーキ ピース製菓
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉
やさしい、だから食べやすい
「ロシアケーキ」は、昭和のはじめ頃、東京のお菓子屋さんで働いていたロシア人職人が、日本の職人たちに製法を伝えたとされている。
そこから関東を中心にどんどん広まっていった。ロシア人に教えてもらったから「ロシアケーキ」と呼ばれているだけで、本場ロシアにはなく、日本発祥のお菓子なのだ。
型抜きして固めに焼いたクッキー生地に、絞りやすいよう調整したやわらかめの生地をのせて焼き上げる。この「二度焼き」しているかどうかが「ロシアケーキ」の定義になるよう。
2種類の違った生地を組み合わせることで、独特の食感になる。また、トッピングによって幅広くアレンジできるのも、このクッキーの魅力。
『ピース製菓』の「ロシアケーキ」は、アプリコットジャムを2枚のクッキーではさみ、トッピングにココナッツ、ピーナッツ、ホワイトチョコ、チョコ、ジャムと5つの味が楽しめる。
「私はココナッツが1番好き」と章子さん。
鮮やかな杏ジャムのトッピングはお花のように可愛らしいが、元々の「ロシアケーキ」は軍人さんの勲章をイメージしていたという説もあるとか。
ピーナッツの独特の香りがたまらない人もいるし、スタッフにはホワイトチョコが人気だったり、四角いチョコが好きだったり、まん丸いジャムが1番という人もいる。
5種類あるから、いろんな人の好みを受け止められる。
お客様もまずは5種類すべて買って、あとは自分の好みを増やして、箱に詰めて、という方が多いとか。
味わいの方は、「ほどよい甘さと食べやすさ」が『ピース製菓』の特徴。
たとえば、もう少しチョコの味を強めた方がいいかもと思ったこともあるが、「これくらいが食べやすいかなと、あえて変えていない」という。
食感も、「固すぎず、それでいて柔らかすぎず、がいい具合だと思っています」
お客様からは、「ほかの店のは、ちょっと歯ごたえがあって歯が怖いけど、ピースのは固くないから安心」なんて声も届く。
「いつ焼き上がるの?」と催促されるくらい、ほかの「ロシアケーキ」ではダメという方もいるほど。
やさしさを感じる味や食感は、もちろんお客様を思ってのことだが、
「あくまでも私たちがおいしいと思うか、食べやすいと思うかが基準です」ときっぱり。
だから、納得していないものは、絶対に売らない。
当たり前のようでいて、それを何十年もつづけるのは簡単なことではない。
そんな思いでつくり続けている、ほどよい甘さと食感の「ロシアケーキ」をつつむのは、黄色とグレーのお花が、ゆるいタッチでいっぱい描かれた包装紙。
この昔ながらのレトロな2度焼きクッキーと同じ頃に、この包装紙もつくったそうだ。
昔は、珍しい三日月型の「ロシアケーキ」も作っていた。「ぜんぶ手作業ですから、形が違うとそれだけで、とても大変だったんだと思います」と章子さん。
花の町・館山で、つつむ
1977年。房総フラワーライン沿いにファミリーパークがオープンした。7500平方メートルの広い花畑に「関東最大級」と言われる100万本のポピーを咲かせた。
包装紙のリニューアルを検討していた章子さんのお父様は、地元・館山をアピールしようと、ポピーをイメージしたお花を描こうと印刷会社さんと相談した。
そして出来上がったのが、一つ一つ異なる形をした花のイラスト。上から見たり、横から見たりした形があるのは、花が咲き乱れるお花畑のイメージだった。
「夕日がきれいな町」「海越しに富士山が見える町」として有名な館山。包装紙のデザインの元となったファミリーパークは現在、南国情緒いっぱいのキャンプ場になっている。
鮮やかな黄色は明るく幸せな気分になる。差し色のようなグレーがおしゃれでデザインのアクセントによく効いている。
以前は仏事用に黄色の代わりに紫を使ったパターンもあったそう。
もっと昔は、丸に一の字にお花半分の家紋を元にした包装紙もあり、カラーはピンクとグレー、緑とグレーの2種類だったそう。グレーは『ピース製菓』のキーカラーなのかもしれない。
このチャーミングな包装紙で、「ロシアケーキ」をはじめ、これまで数えきれないほどのお菓子をつつんできた。
そのお菓子を食べた人たちが「おいしかったから」と、学校のおやつに採用してくれたり、東京の中華料理屋さんからデザートに使わせてほしいとお願いされたりしたという。
大量に作ることはできない。でも、手作りだからこその味の良さがあるからだろう。
「そう言っていただくと、身に余る光栄です」と章子さん。
「子供の頃は、よく先生から学校が終わったらお菓子を届けてくれってお願いされました。その後も、お祝い事のたびに注文してくれたり。うれしいですよね」と章子さんは当時を懐かしむ。
ただ、いい時代はいつまでも続くことはない。
1989年、バブル経済がはじける少し前、初代であるお父様が亡くなった。その頃から、少しずつ日本人の生活スタイルも変わっていった。
例えば、5月の節句でも、定番の柏餅ではなく、子供の好きなケーキにしようという人も増えた。親戚一同が集まり、大掛かりにお祝いをする機会も減った。
人の流れも東京に集中し、館山の人口も減っていった。
そして、2020年が大きな境目となった。コロナ禍で、日本人の価値観や生活様式が大きく変わってしまった。
冠婚葬祭も、季節の行事も一気になくなった。
コロナ禍が落ち着いても、以前の姿には戻らなかった。
「葬儀も5、6人の家族葬。仏壇にお供えするどら焼きを少しだけ、なんてことも。父がいまの日本を知ったら、もう力が抜けてしまうでしょうね」と章子さんは寂しく笑う。
以前は商店がひしめき合っていた『ピース製菓』の建つ通りも、いつしかシャッターが目立つようになってしまった。
以前は、2階で喫茶店もやっていた。「父はどら焼きが上手で。そのどら焼きを少し大きくして作ったホットケーキがすごくおいしくて、高校生や若い人たちに人気でしたね」
人々の毎日に寄り添えるお菓子屋に
『ピース製菓』の創業した年に生まれた章子さん。
「今は職人たちが一生懸命やってくださっていますが、いつまで続けられるか。父のように、私も死ぬまで現役と言えるかは難しいところです」
ケーキ作りを担っている夫の角田吉夫さんも高齢だ。建物も年をとってきた。創業から一度建て替えをしたが、すでに50年経ち、老朽化も進んでいる。
息子さんは大手旅行会社に勤め、世界中を飛び回っていて、「とても当てにできない」と笑う。
いま章子さんを支えているのは、2人の娘さん。
「未来の展望をしないと、子供たちも不幸になるし、もちろん職人たちのことも大事ですし。お店は続いてはほしいですけど」
ここ数年が正念場。
行く末を決める、まさに岐路に立たされている。
それでも「やっぱりお菓子とは離れられない」
「ああ、やっぱりうまいなあ、うちのお菓子」と思ったり、
ふと、新しいお菓子のことを考えていたり。
章子さんの2人の娘さんは、接客から配達、チラシ作りと『ピース製菓』を支えている。「母の日とか、ハロウィンとかに合わせて、いろいろなお菓子を考えたりしてくれています」と章子さんも頼り切っている。
章子さんにとって、お菓子とは。
「心にゆとりみたいなものを与えてくれますよね。ほっとした気持ちにさせてくれるもの。ご飯の後に、ちょっと甘いものでも食べちゃおうかしらって思うと、やっぱりうれしい気持ちになりますから」
ほんの少しの罪悪感と、たっぷりの幸福感。
日常に彩りを与える、「やっぱりなくてはならないもの」だという。
『ピース製菓』をいつまで続けられるかはわからない。
時代とともに変わるものは変わる。けれど、いつまでも変わらないものもある。
お菓子に対する姿勢。それが『ピース製菓』の変わらぬ原点。
「父は、たぶん甘いものが好きだったんでしょう。炊き上がったあんこをちょっと味見しては、うん、大丈夫だ、ってチェックを怠らなかったですから」
常にお菓子と真摯に向き合うそんな姿勢は、今も受け継がれている。
平和への願いと、お菓子への誠実な愛情を込めて。
「人の生活に寄り添っていくもの。いつまでも、そんな菓子屋でありたいと思っています」