北海道 江差町
金時豆でつくる、日本最古の糸で切る羊かん。 (2/2)
丸缶羊羹 五勝手屋本舗
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉
フロリダで知った和菓子のやさしさ
6代目である小笠原さんは、生まれたときから『五勝手屋』の息子という宿命を背負って生きてきた。
子どもの頃は、知らないうちに、「羊ちゃん」「羊かん坊主」と「羊かん」にまつわるあだ名をつけられたという。
「床屋にいっても、どこにいっても、自分が誰だか知っている。そのうち隠すのも面倒になってきて。窮屈でしたね。跡継ぎであることを少しネガティブに感じていました」
将来を決めつけられ、自由を奪われた気分だったのだろう。解放されるように、小笠原さんは高校を卒業すると東京の大学へ進学する。
自分が何者かを誰も知らない環境に、はじめて身を置いた。
「これが結構さびしかったんです。羊かん屋の息子と周りが認識していたから、自分の存在を感じられていたし、安心感にもなっていた。得していたんだなと気づきました」
あらためて、自分は羊かん屋の跡取りなんだと、強く意識したという。ただ、すぐには跡を継がず、大学卒業後は、アメリカへと渡った。
遊学先は、美しいビーチの広がる常夏のフロリダ。
「お菓子とは何も関係ない」と小笠原さんは笑うが、離れたからこそ、日本の良さが身に染みた。
食事はおいしい。人はやさしい。四季があり、自然を愛する文化がある。あらためて、日本という国の美しさを感じたという。
それは、食材の活かし方にもあらわれていた。
「例えば、チョコレートを作るなら、まず豆を粉々に粉砕しますよね。でも、羊かんなら、豆を煮て、皮を脱がせ、素材のよさを自ら出させていく。日本は殺すではなく、活かすなんですよね」
もちろんどちらが良い悪いの話ではない。ただ、そこに「和菓子のやさしさを感じた」。
日本のいいところをもっと主張しよう。
そう思った小笠原さんは、3年間の遊学を終え、帰国した。
江差の町を歩いていると、電柱に掛かった『五勝手屋』の袖看板が目に留まる。細長いその形は、まるで看板そのものが「丸缶羊羹」になったようだ。
老舗の進化は、面白さにあり
『五勝手屋』に入社してから10年ほどは、覚えることも多く、経験を積むことに専心した。
「営業活動が苦手で、悩んだりもしましたね。何も変えないことがいいことなのかなと思っていました」
一転、40代になると、『五勝手屋』を含む、全国の老舗和菓子店の同世代の若旦那や跡取りとともに『本和菓衆(ほんわかしゅう)』というチームを結成。
「あの人がこれを作ったなら、こっちは、もうちょっといいお菓子を作ろう」とお互い刺激し合いながら、
ドライイチジクの中に五勝手屋羊羹を詰めた「回/Re-Fruit」や、あえて羊かんの腰を折ったやわらかくて苦いカラメル羊かん「夜更けて」、などなど、伝統的な和菓子とは一線を画す商品を開発していった。
小笠原さんのお菓子作りのモットーは、「面白いかどうか」。
「お客様が食べた時の「あれ?」という予想を覆す瞬間が楽しいんです。作り手としては、してやったりといいますか。それがないと、食べた人の印象にも残らないですよね」
話題にもなり、評価もされた。それが楽しく、面白かった。
右にあるのが、ドライいちじくの中に五勝手屋羊羹を詰めた「回/Re-Fruit」。甘みとねばり、瑞々しさが溶け合う芳醇な組み合わせで、プチプチとはねる種の食感も楽しめる。
そんな頃、お客様から「最近、とがってきたね」と言われたという。
あらたな取り組みを誉めての言葉ではあったが、それは長年のお客様の不安や心配から出た言葉でもあると小笠原さんは感じた。
「回/Re-Fruit」を始めたとしてさまざまな展開は、「丸缶羊羹」を食べたことのない人たちに、「丸缶羊羹」まで辿り着けさせることが目的。
そんなことはわかっていたはずだが、
「どこか行き過ぎてしまっていたんでしょうね。新しい商品を押し出し、売ろう売ろうとしていたんです」
有名人に「おいしい!」と言ってもらうために躍起になったこともあったという。
「そんなことをしても、地元の人にいい気になっていると嫌われるだけ。一人の有名人より、お客様一人一人のおいしいを大事にした方が長続きするわけですから」
江差の人たちに、支持されてこその『五勝手屋』。そんな原点にあらためて気づかされた。
地元の支えがなければ、看板商品の「丸缶羊羹」は消えていたかもしれないのだから。
江差町にある『五勝手屋』本店では、毎年12月、2階ギャラリーに「ミニチュアタウン」が登場する。6代目・小笠原さんが趣味で集めたジオラマで作り上げたもので、町のクリスマスの風物詩になっている。
筒の中にある地元の誇り
「丸缶羊羹」は、昭和13年(1938年)頃に誕生した。
その少し前に東京のとある会社が筒状のパッケージを考案し、一時期、筒型の羊かんが広まったという。
しかし、「一般的な四角い方が高級感もある」と筒型は売れず、多くの会社がやめていった。
幸か不幸か、『五勝手屋』があるのは、北海道の小さな町。そんな世の中の風潮に流されることはなかった。
「とはいっても、極端に売れなかったら、さすがにやめていたでしょう」と小笠原さん。
「丸缶羊羹」を続けられたのは、地元・江差の人たちが「面白いね」と支えてくれたから。そのおかげで「糸式羊かん」の最古参として、筒形という強烈な個性を放つ商品へと育っていった。
だからこそ、支えつづけてくれる江差の人たちが誇れるような存在になりたいという。
「東京の催事にでるのは武者修行です。そこで評価されれば、江差の人たちも喜んでくれると思うんです」
だから、決して、マイナーな存在で終わるつもりはない。都会の人や、舌の肥えた人に認められるような味を目指すことが大事だと考えている。
ただ、「回/Re-Fruit」のような新感覚の商品は、東京では評価されても、江差の人たちにとっては、まだまだ馴染みにくい。
「でも、大きな舞台で「おいしい」と認められつづけていけば、少しずつ江差でも受け入れてくれるようになると思うんです」
そのためには、江差の人にも食べてもらえるよう、そして、「おいしい」と言ってもらえるように粘り強く頑張る。
そうすれば、万人の人たちから「おいしい」と思ってもらえるお菓子になる。
「そんな江差の『五勝手屋』の味を、郷土料理のように、江差の人たちと一緒に作り上げていきたいんです」
十勝産金時豆をつかった「流し羊羹」と「丸缶羊羹」の詰め合わせ。「流し羊羹」に使われているパッケージデザインは、創業当時と同じという。
「かつて」から描く、「丸缶羊羹」の「これから」
現在の「丸缶羊羹」の豆は、「大正金時」というブランドの金時豆を使っている。ただ、戦後から昭和の中頃までは、「紅金時」というブランドだった。
そこで、『五勝手屋』では、江差町の協力のもと、2016年から「紅金時」の収穫を目指した取り組みを行ってきた。
そして、2023年、「紅金時」を使った丸缶羊羹「かつて」を復活させた。
しかも豆だけでなく、当時の製造環境なども加味して可能な限りその頃の味や風味に近づけるように仕上げるというこだわり。パッケージのラベルも当時のものを使用している。
「豆の味の違いに気づくのは作り手の自己満足かもしれませんが、地元の人たちとの共同作業は大切なことだと思っていますし、何より当時を懐かしみながら作るのは楽しいです」
これだけで終わらないのが、『五勝手屋』。
過去に「紅金時」の栽培が絶えたように、いつか現在の「大正金時」も、より収量が高く栽培のしやすい新種の豆にシフトしていくときがくる。
そこで今後台頭が予想される「秋晴れ」というブランドを使った未来の丸缶羊羹「これから」まで作ってしまったのだ。
「未来はどうなるかわからない。ある意味無責任に考えられるから、面白いですよね」と小笠原さん。
未来の丸缶羊羹「これから」では、豆の皮を使っているそうだ。
「昔だと、豆の皮を入れるのは、あんこを増量させるようで、ケチっていると避けられていました。でも、やってみるとコクがあっておいしいんです。それに、ゴミ0にもなる。むしろ、”これから”の時代にマッチしていますよね」
「丸缶羊羹」のパッケージラベル。左から「かつて」「いま」「これから」。未来の「これから」は、縁取りもなく、かなりスッキリとしたデザインになっている。
パッケージも、デザインを踏襲しつつ、洗練されたスタイルになっている。
こんな取り組みも、時代によって原料が変化する中でも、『五勝手屋』は変わらず羊かんを作り続けていくという強い思いの表れ。
「丸缶羊羹の歴史は、まだ80年。まだまだこれからです」
そう語る小笠原さんが見据える日本最古の糸切羊かん「丸缶羊羹」の未来。
そこには、私たちの「予想」を覆してくれる「これから」が待っているのかもしれない。