宮城県 仙台市
仙台の地で57年。創業から伝わる強めの甘さがクセになる。 (2/2)
フロリダ/ヌス・シュニンテン ガトーかんの
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉
「ガトーかんの」を飛び出した菅野さん。子供を2人抱える中で開業資金を借金。覚悟の独立だった。
お菓子は甘くない
「お店の名前は、「クルールフラン」。鮮やかな色というような意味です」
フランス菓子をベースにパンも焼く。素材や製法にもこだわり、カジュアル志向の『ガトーかんの』とはまったく違うコンセプト。自分ならできると思った。
味は評判になった。売上も上々。
でも、お店をやるというのは、それだけではない。
味を追求するあまり、高い材料も使ってしまう。手間もかけてしまう。
売上や評判の割に、利益はあまり上がらなかった。
「経営的なセンスが足りなかったんです。甘くなかったなって。お菓子は甘いんですけどね」
そう今だから笑って話せるが、経営者と職人との狭間で葛藤する日々。ようやく「そんなに手間をかけていたら商売にならん」と言っていた父の文男さんの気持ちがわかったという。ただ、当時は振り返るような余裕なんてなかった。
店舗も増やしたが、状況は変わらなかった。人前に立つのが苦手で接客業の経験もなかった妻の恭子さんも毎日店に出て、菅野さんを支えた。
そんな菅野さんたちに災厄が降りかかる。
2011年3月11日。東日本大震災が発生した。巨大津波が東北の太平洋沿岸部を飲み込んだ。
東日本大震災の時でも営業を続け、僅かなパンやケーキを遠くから買い求めにくるお客さんたちが長い行列を作った。
どちらを残すか。どちらを潰すか。
菅野さんの「クルーフラン」は沿岸部から離れていたため津波に流されることはなかった。
「材料もなかったですけど、従業員もいますから給料も払わないといけないですし。とにかく集められるものを集めて。何が何でもやるという気持ちでした」
3月中にお店を再開したが、とはいえ強い気持ちだけでは、どうにもならないことはある。1000年に一度と言われる大災害に東北地方の経済活動はほぼストップしていた。当然、売上はほとんどなかった。さらに営業してみると、店の被害も大きいことがわかった。
「いろんなところがガタついていました。機材も壊れてしまっていて。しかも本店のあった地区は地盤が液状化していて。それで本店を閉めて、少し離れた支店に集中することにしたんです」
最大3店舗あった「クルールフラン」は、震災によって1店舗での再スタートとなった。
当然、『ガトーかんの』も無傷というわけではなかった。父の文男さんは自分が始めた店を潰してなるものかと必死になっていたことだろう。それでも人手が足らず、菅野さんも自分の店をやりながら、「お菓子を作って持ち込んだり、ブライダルの配達を請け負ったり」して可能な限り『ガトーかんの』を手伝っていた。
やがて父の文男さんも衰え、ついには体調も崩した。
「それまでは頑張ってやっていましたけどね。でも、そろそろ無理はさせられないなと思って」
菅野さんは『ガトーかんの』を継ぐことを決めた。
ただ自分の店である「クルーフラン」も潰さずに、2つのお店をやり続けるつもりだった。
とはいえ『ガトーかんの』とは商品も違えば、製造方法も材料も違う。でも、体は一つしかない。
「こりゃとても回らないなと思っていたら、今度はコロナがやってきたんです」
菅野さんが正式に『ガトーかんの』の経営を引き継いだのが、2020年(令和2年)。年が明けるとすぐに世界中が新型コロナウイルスによるパンデミックに襲われた。
お菓子屋さんは飲食店ではないため、営業を禁止されたわけではなかった。それが逆に首を絞めた。十分な保証もない中、営業を続けることになった。
「お菓子を買うどころか、街から人がいなくなりましたから。利益を上げていたブライダルケーキの発注もまったくなくなりましたし」
とても2つのブランドのお店を経営していくような余裕はない。
どちらを残すか。どちらを潰すか。
「歴史は一度でも途絶えたら、そこでもう終わりです。復活させることはできません。自分と一緒に生まれた『ガトーかんの』という名前が、お店が、なくなる。それを想像したら、寂しさがありました」
妻の恭子さんも同じ思いだった。
「先代の情熱を知っていましたから。『ガトーかんの』を潰そうなんて、とても思えませんでしたよね」
そして菅野さんは、自分がゼロから立ち上げ、夫婦力を合わせて20年続けてきた「クルールフラン」を閉め、『ガトーかんの』を残すという決断をした。
コロナ禍の期間にほとんどの商品を素材から見直した。おかげで「美味しくなった」という声が増えたという。
2代目『ガトーかんの』
「お客様の好みは、極端にいうと2つに分かれる」という。
濃い味か、薄い味か。菅野さんが学んできたのは薄い味。一方で『ガトーかんの』は昔ながらの濃い味。甘いものが少ない時代、甘みを強く感じられるお菓子が好まれたのかもしれない。何よりその味は先代の文男さんが大好きな味だった。
『ガトーかんの』は、その味を愚直に作り続けてきた。
「もちろん自分の色を出したい思いはありますし、少しずつですが、それがお客様にも認められつつあるとは感じています」
でも、と菅野さんは続ける。
「先代の作った味が50年以上経ったいまも支持されているわけで、そこには人を惹きつける何かがあると思うんです。それは簡単に変えてはいけないわけですよ」
そして、こう続けた。
「自分の店で20年違うことをやったことで、そこにようやく気づけました。もし父の元で一緒にずっとやり続けていたら、気づけなかったと思います」
高級な材料を使って、時間をかけて、こだわって作る。それも一つの商売だが、『ガトーかんの』が仙台浅草の地で支持されているのは、「買いやすさもある」と菅野さんは語る。
「普段使いのお店が、『ガトーかんの』。お客様から「美味しい」と言ってもらえる喜びは同じですから。ここで作るお菓子が私のやるべきことであり、私の進むべき道なのだろうと思い始めました」
「フロリダ」の名前の由来は謎だという。「外国への憧れかもしれませんね」と菅野さんは笑う。
57年変わらないもの
創業から変わらず『ガトーかんの』の看板商品である「フロリダ」。その一風変わった商品名は派手好きだった先代の文男さんのネーミング。その味もまたアイデアマンらしく独特だという。
「ベースはフランスの伝統的なお菓子のフロランタンですが、それを日本人好みに、柔らかくし、甘さを強めています」
もう一つの看板商品である「ヌス・シュニテン」のベースはドイツ菓子だ。キャラメル状のヌガーが真ん中にあり、胡桃が入っている。そこまではよくあるお菓子だというが……
「企業秘密ですが、そのほかに入っているものがやはり先代ならではなんです。普通は使わないもの。知った時はこれを入れるのかと驚きました。そこがお客様に支持されているんだと思いますね。似たようなものはありますが、他の店ではなかなか味わえないと思います」
『ガトーかんの』の商品はどれもどこか一癖あるという。
営業車には創業者の顔写真。味だけでなく、車もパッケージもできる限り、変えずに続けていく。
「たとえば、砂糖を焦がすといっても、焦がさないように焦がすというか。そうとしか言いようのない程のかなり変わった作り方をしています。どれもが60年近く前の先代のアイデアです。自分で作るようになって、あらためて先代には敵わないなと痛感しています」
先代の文男さんが『ガトーかんの』を始めた当時、「ガトー」と名のつく洋菓子店は仙台にはなかったという。「◯◯洋菓子店」という和風な名前ばかりだった。
ケーキやお菓子を意味するフランス語の「ガトー」と言われても、当時の人たちには伝わらなかっただろう。なのに先代の文男さんは「これからはカタカナだ」とあえて「ガトー」とつけた。以後、仙台各地で「ガトー◯◯」というお店が次々増えたそうだ。
「その流行を作ったわけで、アイデアマンだった父の先見性はすごいですよね」
『ガトーかんの』の歴史を振り返ると、高度経済成長にはじまり、バブル景気、バブル崩壊、長く続く不景気、東日本大震災、新型コロナウイルスと、ジェットコースターのような時代を生きてきた。
世の中は目まぐるしく変わっているのに、『ガトーかんの』は、この仙台浅草の入口にずっと変わらずにありつづけている。
「ここに『ガトーかんの』がある。それは私の中でもどこか安心感になっていたんだと思います。帰るところがある。だからバイクに夢中になったり、修行に出たり、すぐに店を継がないで独立したりと冒険ができたんだと思います」
流行に流されることなく、愚直に自分の美味しいと感じる味を作り続け、お客様にお出し続ける。それがいつしか唯一無二の存在価値となった。
「もちろん時代によって素材も変わるし、機材も進化します。でもやれる間は『ガトーかんの』の味を作り続けるのみですね」
57年目に入った今日もまた『ガトーかんの』は創業以来の味を作り続けている。