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東京都 足立区

東京で70年。商店街が消えても、生き残る洋菓子の名店 (2/2)

焼き菓子 コシジ洋菓子店

聞き手 小林みちたか

写真 梅原渉

お店のSNSをのぞくと、人気芸能人が笑顔で『コシジ洋菓子店』の写真ケーキを囲んでいる投稿をいくつも見ることができる。

販売サイトのレビュー評価は、なんと1200件を超えているのに満点の星5つ。こんな商品、他にあるのだろうか。驚異的な高評価だ。

ある時、某有名ミュージシャンの似顔絵をケーキにできないかと頼まれた。アルバイトに絵の上手な人がいて、手書きで描いてもらうと予想以上にいい出来栄え。

「これはいけるかもしれない」と角田さんはひらめいた。

当時、少しずつ世の中に、写真を砂糖でできたシートに可食インクで再現していく機械が出回り始めていた。さっそくその機械を取り寄せて、「写真ケーキ」としてネット販売を開始した。

スタートこそおとなしかったが、少しずつ口コミが広がり、2年目からはものすごい注文数になった。1日20〜30件、クリスマスには50件、60件と倍増。もちろんお店はいつも通り営業しているから、その間に作るしかない。うれしい悲鳴だ。

ただ狭い業界。すぐに評判は広がり、他のお店も写真ケーキをやり出すと勢いは長続きしなかった。

元々、角田さんはパソコンを自作し、IllustratorやPhotoshopも使いこなすほどITスキルが高い。写真ケーキでは画像の粗い写真も少なくないそうで、「結構大変」と笑いつつ自ら画像処理も行なっている。

「これはダメだ」と思った角田さんは、なんと12時までの注文ならその日のうちに発送する「即日発送」をはじめた。

これはさすがに他のお店も、おいそれとは真似できなかった。

即日発送は大当たり。
特に忙しい芸能界には重宝されたようで、ビックリするような大物芸能人の写真が送られてくるようになった。そうなると口コミもどんどん広がる。

お誕生日や記念日に、さらにはプロポーズにと、全国から注文がくるようになった。

驚異の満点レビューの理由を角田さんはこう分析する。

「特別なことは何もしていません。でも、写真がウリだからって、味は大したことないだろうとハードルが低いんじゃないでしょうか。だから、思ったより美味しいと評価してもらえているのかなと思います。他のケーキと同じように作っているだけなんですけどね」

当たり前に作っているだけというが、画質の粗い写真ならデータの手直しもしなければならない。それらすべてを即日発送で実践している。しかも、いつ注文が来るかわからないのだから、並の忙しさではなかっただろう。

角田さんは、当時を振り返る。

「写真ケーキがなかったら、コシジ洋菓子店はもうなくなっていたでしょうね」

創業当時に父が使っていた王冠の焼き型(左)で作ったプルーンのガレット。お店には、この焼き型が100個以上、残っていた。

父の残した焼き型

写真ケーキは大ヒットしたが、まだまだ日本中は不景気のまま。さらなる商品の充実も図っていかなければならない。角田さんは、商品の少なかった焼き菓子を増やしていった。

アイデアの種を探すために、時々、父の残したレシピノートを眺めることがあった。その中にロシアンケーキがあった。

商品としては残らなかったが、入谷時代に作っていたと聞いたことがあった。お店には、そのロシアンケーキに使っていた王冠の焼き型がたくさん残っていた。

「これを使おう」と生まれたのが、焼き菓子のガレットだ。今ではプルーン、オレンジ、栗、木の実、ラズベリーと5種類で展開している。

他にも、ゴッチェさんから学んだ、クッキー生地でクルミのヌガーを包んだ「エンガディーナ」、ナッツたっぷりの「リンツァー」、フロランタン風の「マンデルブレッタ」といったドイツやスイスの焼き菓子たちが店頭に並んだ。

もちろんキャラメルフルーツ、マロンケーキ、ロイヤルケーキといった角田さんオリジナルレシピの焼き菓子もたくさんある。

角田さんが『コシジ洋菓子店』にきた頃はケーキばかりだった商品も、いつしか焼き菓子の方が種類が多くなっていった。

「どれもいたって普通のレシピばかりです。ゴッチェさんから学んだ商品もレシピ通りに作っているだけですし」

そう控えめに話す角田さんが生み出してきた焼き菓子たちは、70年前の創業時の父の思いや40年以上に及ぶ角田さんの菓子人生の歩みが詰まっている。

父が残したレシピノート。商品ごとに読みやすい字できっちりと整理されている。創業者はさぞ几帳面な方だったのだろう。ちなみに使われている「匁(もんめ)」は、昔の重さの単位。1匁=3.75gで、5円玉の重さ。

レシピに忠実であること

『コシジ洋菓子店』は、今年創業70年を迎える。それは並大抵の歴史ではない。

それでも、角田さんは特段、何かを背負っているつもりはないといい、「どう辞めようかなと思っていますよ」とはぐらかすように笑う。

ただ、「去年、膝のお皿を割っちゃって、もう無理かなってね」といいつつも、「でも手術して、ワイヤーが抜ければ、また元気になるかなって」とやる気も見せる。

その原動力は、「やっぱりお客様が喜んでくれるのが1番ですね」

地元の東綾瀬では、何十年と通ってくれている常連さんや3代続くお客様などなど、「エピソードを語ればキリがない」ほど、たくさんのお客様に支えられてきた。

コロナ禍で日本中が大変だった時、全国のお菓子屋さんもまたお客様が来ず、苦境にあえいでいた。

だが、『コシジ洋菓子店』は違った。

「あの頃はみんなよく散歩してましたよね。ネット販売はダメでしたけど、地元の人たちが散歩のついでにたくさん買ってくれたんです」

なかには、長めの散歩で遠くから来た人もいたのだろう。『コシジ洋菓子店』を知らなかった人たちも、こんなところにケーキ屋があったのかと買っていってくれたという。

なんと、あの時期に『コシジ洋菓子店』は、いつもの2.5倍の売上をあげたというのだ。

「最近はもう流行は追わない。昔は娘にせっつかれて、いろいろ作ったけど、もうくたびれてきた」と笑う。そのかわり、「新鮮なものを出す」のが、角田さんのこだわり。最先端よりも新鮮さの方が、美味しさには大切だ。

角田さんが日頃から心がけているのは、「レシピに忠実であること」

コスパ、タイパが叫ばれる時代だが、作りやすい、手間がかかる、そんな理由で工程を省いたりはしない。

ただただレシピ通り、丁寧に作り続ける。それが美味しさを維持する秘訣。

お客様は残酷なほど正直だ。味が悪けれど、値段に見合わなければ、常連だろうが財布の紐は固くなる。景気が悪ければ、なおのこと。

東京という世界屈指ともいえる激しい生存競争にさらされながら、商店街がなくなっても、『コシジ洋菓子店』は、生き残ってきた。

こういうお店こそ、名店と呼ぶのだろう。

「あと2年、70歳までは絶対にやる。その先も体が動く限り、続けていきたいですね」