広島県 府中市
宣伝ゼロでも全国から注文殺到。旨味したたる洋酒のケーキ (2/2)
洋酒ケーキ くにひろ屋
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉

美味しさの秘密は、ラム酒にあり
『くにひろ屋』の洋酒ケーキの味の秘密は、厳選した素材と独自の製法にあるという。
まず生地には、上下町に隣接する世羅産の新鮮な高原たまごをふんだんに使用している。
さらに最大の特徴は、したたるほどたっぷり浸す洋酒。
カステラの隠し味には、2種類のブランデーをブレンドしている。これがなかなかの高級品。
「なので、カステラだけ食べても美味しいんです。切り落としを集めた商品も結構売れていますよ」
そして、何よりも重要なのが、芳醇な香りを醸し出しているラム酒だ。
「これほどいい味と香りのラム酒は、日本にはないんじゃないかと思いますね」と前原さんも胸をはる。
とあるメーカーから仕入れている希少品で、味と香りが1番なら、値段も1番というくらい高級という。
実際、他の大手メーカーから売り込みの話はたくさんあるが、
「まず香りが全然違うんです。もっといいのはないですかと聞いても、これがうちでは1番ですといわれるので、結局、このラム酒に代わるものはないんですよ」
その秘密はどうやら製法にあるよう。普通は原材料のサトウキビを現地から輸入して日本でラム酒にする。
対して、『くにひろ屋』が使っているラム酒は、現地でラム酒にしてから、日本に持ってきているようなのだ。
「フレッシュな原料でラム酒を作っているから、味や香りのよさが出るんだと思いますね」
曽根さんも最初は普通のラム酒を使っていたが、もっといい物はないかと探し続けた末にたどり着いたのが、このラム酒だった。
少し前には、この希少なラム酒が手に入らないかもしれないという、最大の危機に直面したこともあった。他国との競争から原材料の仕入れが難しくなったのだ。
当時、メーカーの仕入れの約9割は『くにひろ屋』が買っていて、量も年間数万トン。
「これだけ使ってもらっているのだからと、メーカーさんが頑張ってくれて。価格は上がりましたが、なんとか継続できるようになりました。味は変えたくないですから、本当によかったです」と前原さんも胸をなでおろす。

お店を引き継いだ時、曽根さんの奥様から、「こんないいお酒使わんでも、普通のでもいいと思うよ、高いし」と言われたという。ただ前原さんは「 採算が取れるかぎり、使っていきます」と決意は固い。
『くにひろ屋』の洋酒ケーキをはじめて見た人は、「こんなに洋酒が!」と、そのあまりのしっとりさに驚くことだろう。
普通のカステラは、シロップにどっぷり漬けると、身が崩れ、トロトロになってしまう。かと言って、固くすれば、シロップには負けないが、今度は固すぎて美味しくない。
だが、『くにひろ屋』のカステラは、シロップをたっぷり漬け込んでも、口当たりのよい柔らかさを保ちながら、身が崩れることがないのだ。
そんな規格外のしっとり感をもつ洋酒ケーキを可能にしているのが、曽根さん考案の複雑なレシピと繊細な焼き加減。そして、とりわけ肝になるのが、曽根さん直伝のシロップ漬けだ。
レシピも焼き加減も、四季や天候によって、微調整を加えている。それでも毎回状態は微妙に異なる。
だから、カステラを持った瞬間に、シロップの漬け込む量を判断する。
この焼き具合なら、多めに漬けた方がいい、これなら少な目の方がいい、といった具合に。
ほんのわずかな違いかもしれないが、それがお客様の満足度に大きく影響する。
指先の繊細な感覚が求められるこの工程は、機械では難しく、人間にしかできないという。
そんな数々の技と知恵が盛り込まれた曽根さんの洋酒ケーキは、2005年に前原さんが受け継いだ時には、ほぼ完成していたそうだ。
『くにひろ屋』を引き継いだ前原さんは、仕出し屋をやめて、そのスペースに機材を入れた。
仕出し弁当を作っていたスタッフたちは、そのまま今度は洋酒ケーキを作ることになった。
それは、はからずも生産力のアップへとつながった。
ついに『くにひろ屋』の洋酒ケーキが、上下町から飛び出すことになったのだ。

スタッフたちの前職は整備士や不動産営業などさまざま。8人が10人になり、12人なりと徐々に増えている。「販路は拡大していますが、一気にドーンと大きくなろうとは思っていないんです」と前原さんはいう。
上下町から全国へ
曽根さん夫婦の2人だった時代から作り手の数が増えたことで、これまで上下町のお店に卸していた量以上の洋酒ケーキを作ることができるようになった。
さっそく前原さんは、広島市にある県の名産品を集めたアンテナショップに洋酒ケーキを置いてもらうことにした。
以前から曽根さんにオファーが来ていたのだが、余裕がないと断っていたので、今ならお受けできるだろうと考えたのだ。
「あるバイヤーさんが、そのアンテナショップで1時間見ていたら、洋酒ケーキが一番売れていたそうです」
途端に「うちで売らせてくれ」と声がかかりだした。
最初に売り出したのは、百貨店の天満屋さんだったという。
そこで売れると、次は別の支店に、また別の支店に、という具合に、あっという間に販路が広がっていった。
さらにお客様がお土産に使ってくれ、それを食べた人が「何これ美味しい!」と新たなお客様になった。
今では北は北海道から南は沖縄まで、販売していないエリアからも注文がくるという。

上下町では、子供の頃からみんな食べているという洋酒ケーキのアルコール度数は約3%。「良く言えば、しっとりしたケーキ。悪く言えば、べちゃべちゃなケーキ」と前原さんは笑うが、それが強烈な個性となっている。
『くにひろ屋』が洋酒のケーキを作り始めて、60年以上。今では洋酒ケーキ自体は珍しくなくなった。ただ、どの洋酒ケーキを見ても、不思議と同じようなカステラベースの形をしている。
それは『くにひろ屋』の洋酒ケーキが、元祖だからなのかもしれない。
「その意味では曽根さんは天才ですよね。当時はなかったものを生み出したわけですから」
同じ洋酒ケーキという名前で販売しているお店もあれば、名前は違っても同じようなケーキを作っているお店もある。
「でも、絶対にうちと同じ味にはならんかなって思っています」
だから、あえて、元祖を名乗る必要もないという。
「その先は、お客様の好み。他の洋酒ケーキが美味しいなら、そちらを買うだけですから」と割り切っている。
2005年にお店を引き継いで以来、コロナ禍の期間を除いて、一度も売上が落ちたことはない。ずっと右肩上がり。
それが、元祖なんて肩書が不要な、誰も真似できない『くにひろ屋』の洋酒ケーキの美味しさを物語っている。

昨今の原材料の高騰には、「ケーキ1個への影響はわずかですが、それよりも包装紙が厳しいです」と前原さんも頭を抱える。それでも5個700円の価格を維持し続けている。
人生を変えたケーキ
銀色の下地に王冠のような、ヨーロッパの宮殿の装飾のような、なんとも豪華なデザインのパッケージは、洋酒ケーキができた当初から変わっていないという。
「デザインの意図は、わからないんですよね。そもそも『くにひろ屋』という屋号の由来も、はぐらかされて教えてもらえませんでしたから」と前原さんは笑う。
曽根さんは、前原さんにお店を託した数年後にお亡くなりになってしまった。だから、謎は謎のまま。
ただ洋酒ケーキの味同様、パッケージも変えるつもりはない。
「お客様からはレトロでいいなんて声もいただきます。今さら流行りのデザインにするよりも、昔からある商品なんで、そのままの方が味わいがあっていいなと思っています」
お店を引き継いで20年。もし、お隣さんが、どこにでもある商品ばかり作っている普通のお菓子屋さんだったら、継がなかったという。
「本当に素晴らしいケーキを曽根のおいちゃんが作ってたから、僕の人生が変わった。おかげで、いい人生を歩ませてもらっています」と前原さんは言い、しみじみと続けた。
「だから、感謝やね」

包装紙にプリントされた洋酒ケーキとパッケージの写真は、創業当時のものだという。ケーキもデザインも、今とまったく変わっていない。
曽根さんの奥様は、まだまだお元気だそうだ。
「昨日も大根持ってきてくれて」と家族ぐるみのお隣さんの付き合いも昔のまま。
曽根さんの奥様が『くにひろ屋』について、何かを言うことはないが、どこかへ行く時は、必ず
「お父さんが作った洋酒ケーキを持っていくって言って、うちから持っていかれますね」
それができるのも、前原さんが曽根さんの洋酒ケーキを守り続けているからこそ。
上下町だけで愛されていた洋酒ケーキが、町を出た途端、あっという間に全国のスイーツ好きを虜にした。
ひょっとしたら、近い将来、この洋酒ケーキは日本を飛び出しているかもしれない。
実際、県から海外に販路を広げないかというオファーもあったそうだ。その時はとても余裕がなくて、お断りしたというが、今後どうなるかはわからない。この先は、次の世代である息子さんに託しているという。
ただ世界がどこまで広がっても、前原さんの思いは変わらない。
「この洋酒ケーキの味を、とにかく守っていかにゃいけん」