新潟県 新潟市
「普遍的なおいしさ」を探しつづける職人の最後のケーキ (2/2)
ガトー・オ・ノア マロン洋菓子店
聞き手 小林みちたか
写真 梅原渉
怖かった十数年ぶりの地元・新潟
加藤さんは新潟の生まれといっても、店をはじめた早通の町に馴染みはなかった。ただターミナル駅の新潟駅から4駅と近く、住宅も増えていた。駅前の商店街なら好立地で悪くないと思った。
むしろ不安は別のところにあった。
中学を出て、すぐに修行に出たため、そこで新潟のイメージがストップしていたのだ。
「元が田舎者だから、新潟市内の車の多さに驚いたくらい。だから早通で店を出しても、ちゃんと材料を届けてくれるのかが心配で」
もちろん、そんな不安は杞憂だった。
すでに早通の町にはケーキ屋や和菓子屋が3、4軒あったが、加藤さんは「ライバル店はないよりあったほうがいい」という。
町にケーキを知っている人がいる。味をわかっている人がいる方が受け入れてもらえる土壌があるというわけだ。
土地代や設備投資でかなりの資金が必要だったが、東京で休みなく働いていたおかげで貯えもあり、誰にも頼ることなく自力で独立することができた。
店名は、最初から『マロン洋菓子店』に決めていた。
新潟に店を出してからも、ときどきテレビで東京のマロンの包装紙が映ることがあったという。「その度におふくろが興奮して連絡してきてね。芸能人がおいしいケーキ屋だとか話していたり。それくらい修行した店は有名だったんだよね」
さらに「マロンの包装紙も使っていいですか」と社長にお願いすると、「いいよ」と快諾してもらえた。
当時のマロンの包装紙には本店の原宿店、次に中目黒店、と計20店舗の支店がプリントされていた。
「その1番最後に名前を入れてもらえた時は、うれしかったね」と珍しく加藤さんも喜びを隠さない。
そして、1982年8月13日、創業。28歳の時だった。
期待や興奮より、むしろ「売れないかもしれない」という怖さの方があったという。
そんな東京時代には感じることのなかった怖さも、ロールケーキの大ヒットとともに吹っ飛んでいった。
東京でつくっていた味が、早通の人たちには新鮮だったようで「もうないの? もうないの?」とお客様にせがまれるくらい売れたという。
そして気づけば、この町に残っている菓子屋は、『マロン洋菓子店』だけになっていた。
店頭で「ガトー・オ・ノア」を食べたお客様の評判から、直売所での販売につながったという。コロナ禍を機に増えた売り上げは、今もそのまま維持している。
いい商いとは?
時代が進めば、材料も変わる。技術も変わる。ケーキも変わる。
創業時に売れまくったロールケーキも、今では新潟産の米粉を使った「こしひかりロールケーキ」へと進化している。
たとえば材料も、定番のアーモンドプードルなんて創業当時はなかった。
そんな日進月歩のお菓子の世界だが、「ガトー・オ・ノア」は、創業から40年以上何一つ変わっていない。
マロンの創業から唯一今も残る焼き菓子なのだ。
特別な思い入れはないという加藤さんだが、
「焼き菓子だから、傷まないし、仏様にあげておいても大丈夫。そういう意味では使いやすいし、安心できるケーキなんだろうね」
と信頼を寄せている。
「ガトー・オ・ノア」とは、フランス語でクルミのケーキのこと。その名の通りクルミがたっぷり入っている。キャラメルヌガーとの相性も抜群!
そのベースにあるのは、もちろん味。
「ガトー・オ・ノア」が40年以上も売れ続けているのは、お客様に選ばれるおいしさに他ならない。
「お客様は正直。おいしいものなら買ってくれる」と加藤さんも断言する。
「その味は努力し続けないと出せない。だから一生懸命やるしかない。これだと思う味にたどり着いたら変えずに、そのままずっと続ける。やっぱり継続は力なりだから」
継続を重視するのは、そこに加藤さんが考える商いの本質があるからだ。
「いい商いとは、お客様を裏切らないこと」
一定レベルのおいしさの商品を出し続けること。お客様が欲しいといった時にいかにつくれるか。「今はない、間に合わないは、お客様を裏切ることになる」と力をこめる。
「それには材料が確実に入ってくることが重要。ものすごくおいしいクリームがあっても、たまにしか入らないんじゃ困る。たとえ大雪でも間違いなく仕入れられなきゃだめなんです」
だから、これからの目標も「今のまま。今日と同じ日のまま継続していくのが最高にいいんじゃないかな」という。
安易に何かを変えることはしない。もちろん流行なんか追わない。
「普遍的においしいもの。それをいかに探すかだと思うよ」
古い窯で焼き上げた「ガトー・オ・ノア」。旧式ゆえタイマーで測りながら、焼き具合をチェックしなければならない。手間はかかるが、だからこそ常にベストな焼き上がりになる。
おいしい話をしたいだけ
『マロン洋菓子店』が早通の町にできてから、43年。人は減り、駅前の商店街もシャッター街になりつつある。住民も老人ばかりだ。
ただ加藤さんは「若い人がおいしいっていうものを大切にしたい」という。
たとえば若い人に人気のあるコンビニのシュークリーム。
「一味違うなって方は、甘さもしつこくない。味がくどいタイプは日持ちさせたいんだろうなっていうのがすぐわかる。高い材料を使わないと、その違いは出せない。だからうちも高い材料を使う。やっぱり舌はごまかせないからね」
若い人の好みの研究に余念がないのかと思ったが、「そんなの関係ないよ」とばっさり。
「おいしいものを食べた時の幸せってあると思う。それは理屈じゃないよね。それと同じ。おいしいものが好きだから、おいしいものを探しているってだけ」
「ガトー・オ・ノア」は、ホール14等分とやや小ぶり。ただ、ぎっしりつまったクルミにヌガーとホロホロの生地はサイズ以上の重量感。食べ応え十分だ。
加藤さんは子供の頃にシュークリームを食べて衝撃を受けたときから、ずっと変わっていないのだ。
おいしいものを見つければ、人に教えたい。ぜひ食べてみてってすすめたい。そんなことばかりやっているという。
「そういう意味じゃ、「おいしい話をしたい」だけなんだろうね」
だからといって「おいしいケーキをつくる仕事を特別幸せだとは思わないですよ」と釘を刺されてしまった。
けれど、自分で店をやることには、何にもかえがたい魅力があるという。
「人に雇われていない。とやかく言われることもない。それで自分がおいしいと思うものをつくれるっていうのはいいよね」
そんな自分自身で商いをやるチャンスをくれ、その楽しさを教えてくれたのは、他でもないマロンの社長さんだった。
「だから、最高の出会いなんですよ」
リボンのようなマロンの頭文字を形どった伝統の『M』のシール。加藤さんは、ケーキの味ともに、半世紀以上続く「マロン」ブランドを守り続けているのだ。
最後のケーキ
2032年で『マロン洋菓子店』は創業50年を迎える。それで店は終わりにすると決めている。
「そのためにお客様に配っているスタンプカードもそろそろ回収していこうと思っているですよ。使わないまま店を閉めちゃったら申し訳ないからね」
自身の誕生日の下に、『マロン』の終わる年を記している。まるで加藤さんの人生のすべてが、お店の歴史でもあるかのようだ。
店を閉めた後は、「まだまだガトー・オ・ノアの注文もあるからね」と、直売所からの注文分だけをつくっていく予定だ。
そうなると、中目黒時代からつくり続けてきた「ガトー・オ・ノア」が、加藤さんのつくる最後のケーキになるかも。
でもきっと加藤さんは、最後のケーキもたんたんとつくるのだろう。
今日と同じ日が続くことこそが、最高なのだから。
「あと7年で閉店、プラス3年で、あと10年。そこまで頑張れば、もういいんじゃないかな」
中学を卒業してから50年以上。人生のほとんどを捧げてきたお菓子作りの終え方をそう見据えている。
「この年で、そういう目標があるってだけで幸せですよ。この道に入って本当によかったと思うね」
200年も前から愛される「ガトー・オ・ノア」こそ、加藤さんが探し求めてきた「普遍的なおいしさ」なのかもしれない。